No.0 「本当に・・・そうでしょうか・・・・・・」
昼下がりの午後、さぁ、と心地よい風が白いカーテンを揺らして部屋の中に入ってきた。
ラレイは風の当たる場所に腰かけ、瞳を閉じていた。忙しい時間帯を抜け、ようやく一息つく休息を与えられたのだ。
村にある唯一の診療所であるラレイの家は、いつも来客が絶えない。それでもお昼ごろになると人が少なくなる。その時間はいつもこうしてイスに腰掛けて一眠りをするのだ。
ラレイは村の中心的存在だった。ラレイを訪れる人は病気や怪我だけでなく、悩み事やちょっとした愚痴、果てにはただおしゃべりに来るだけ、という人まで様々だ。しかしラレイはいつもどんな人でも温かく迎えている。ラレイ自身もそういう話をするのが好きなのだ。
眠るため意識を静かにすると、いつも見る夢が浮かんできた。
自分が必死に何かを守ろうとする姿。
そして自分が何かに変っていく。
光、白い翼……
そしてそんな自分はすごく穏やかで……
そこまででいつも夢が終わってしまう。それ以降のことは見せてくれないのだ。
なんでなんだろう………
何かが引っかかる。しかしそれ以上どうすることもできなので、この問題はそれまでになっている。あれこれ考えているうちに再び眠ることができなくなり、ラレイは机に向かった。
『紅尾祭』
と表紙に書かれた書類を開く。お祭り、といっても日ごろこの地域を守護している尻尾の紅い蛇神を祭る日なのだ。重々しい儀式や長々と呪文のような言葉を言い続けるのだ。しかしそれにここの人たちは意味を見出している。よそから来たラレイは初め惑ってしまったが、一種の宗教的なものとして今では難なく受け入れている。それに最近の水の増水による被害、獣に襲われた人の続出、天候の不安定などが相次いでいて、ラレイ自身も蛇神に祈り、そのような現象を元に戻して欲しいくらないのだ。
それがニ、三日後に予定されている。村はもう今からお祭り気分だ。
ラレイは書類を一枚一枚開いていく。
コンコン
誰かが遠慮がちにラレイの診療部屋の開いてある戸を叩いた。ラレイは返事とともに振り返る。
「旅に必要な薬を分けてほしいんだが」
黒く長い髪を束ね、身軽な、いかにも旅人という雰囲気の男がそこに立っていた。
「少し待っててくださいね」
ラレイはイスから立ち上がると適当な薬を手に次々と持っていく。
「どんなのがいいかしら?」
「切り傷や動物に噛まれた時、あと蛇の持つ毒に効く物」
蛇、言われて一瞬ラレイの手が止まった。
「どんな蛇?」
今はお祭りが近いのだ。村の誰でも蛇の話が出れば蛇神と結びつけてしまう。
「お前たちが奉っている蛇だ」
ラレイはバッと振り返った。
「まさか、殺すの!?」
気迫をあらわにした表情で男を見つめる。話す内容によってはこのままにはしておけない。
男はじっとラレイを見つめ返していた。
「お前……知らないのか?」
「え?」
質問が飛んできてラレイは何か、と考える。特に最近目立ったことは起きていないが………
男は淡々と話し始めた。
「最近各地で巨大な蛇による被害が多発している。それもこの近辺を中心としてだ。国は安全のためその蛇 について調査をした。すると、ここの蛇によるものだと分かった。だから俺は国からその蛇を倒すためにここに 来た。」
ラレイは
「……確かに被害があることは知っています。しかしなぜ蛇神様が?それに、神様相手にあなた一人で……?」
「…被害にあい、生き延びた者が証言したのだ。『尻尾が紅かった』と。世界に、尻尾が紅い蛇などここで奉られている蛇しかいない」
「………」
ラレイは何も言い返せなくて口を閉じた。確かに、尻尾が紅い蛇はここで祭られている蛇神しかいないのだ。しばらくの沈黙の後、ラレイは手に取っていた薬を棚に戻し始めた。
「申し訳ありませんが、例えあなたのおっしゃることが正しいにしろ、ここにいる以上、あなたの手助けはできません。なので薬を売ることはできません」
男はそれを聞くなり、部屋を出ようと立ち上がる。
「お前ももともと外の人間だろう。よく考えるんだな」
そう言い放ってどこかへ行ってしまった。部屋に一人残されたラレイはじっと男が出て行った部屋の入り口を見つめる。
本当にそうだとしても、ラレイが蛇神様が人間を襲った、なんて言えなのだ。ここの人々の蛇神様に対する信仰心はかなり深い。もしあの男が本当に蛇神を殺すようなことをしたら、村人がどうなるのか想像できてしまう。
だからラレイはこのことを村の人に言わなかった。言った所でただ軽蔑的な眼差しを向けられるだけだが、それ以外にも、本当は心の隅のどこかで蛇神に対する疑いがあるのだ。実際にこの村人も何者かの被害にあったことがあった。そのとき診た患者の症状が、蛇による毒だったのだ。そして、その患者がうわ言のように「尻尾の紅い蛇だった」と言っていたのだ。
………
夜が深まった頃から、たいまつに火がともされ、太鼓の音がその火をちらつかせる。人々の心はお祭り気分でいっぱいだった。
本当にみんな楽しそう……
行き交う人の顔はみんな晴れ晴れとしている。それもそのはずだ。この日だけいつも山奥に潜んでいる蛇神が人々の目の前に現れる日なのだ。うきうきするのも仕方がない。そんな人々を微笑みながら見ていると、火の当たらない奥の影にあの男がきにもたれて立っている姿が見えた。ラレイはとっさにその男から顔を背け、そのまま男のいる方とは反対の方向に足を向ける。知られてはいけない。あの男のことも、あの男が何をしようとしているのかを知っていることも……
村の東側にある崖の中腹にちょうどできたくぼみで、蛇神様に対する感謝と、労い、そしてこれからの安全祈願をするための祭壇が整えられている。くぼみの端では派手な色彩の服を着た祭司が先ほどから何か唱えるように言葉を繋げている。その後ろには数人の舞姫が踊り、笛、太鼓の音が同調するようにリズムをとっている。そのくぼみの下で村人は祭司の様子を黙って見つめているのだ。それは、もうそろそろでかけられる祭司の言葉で、蛇神が姿を現すことになっているからだ。
ラレイは胸元に作った拳を握り締めていた。あの男が現れて以来、どうしても心のどこかにある不安が拭い去れないのだ。蛇神が、本当に人間を襲っているなど信じたくないのだ。
司祭が大きく手を振り上げた。
「あっ!蛇神さまよ!」
近くにいた女が司祭の向こう側を指差す。それにつられて全員の目がそちらに向く。その先には、堂々と身体を起こし、こちらを見下ろしている蛇の姿があった。それも体長が20メートル以上もある長い身体を引きずるようにしてこちらに向かってくるのだ。
「あぁ、蛇神様だ」
「蛇神さまよ……」
人々の目は愛しむようにうっとりし、身体の力を抜いて、目の前の神様に見入っていた。ラレイはゴクリとつばを飲み込む。
「蛇神様よ!今年のお供え物がここにあります。どうか今年一年、我が村をお守りください……」
司祭が大きな声で、巨大な蛇に言う。蛇神は首を司祭の方に向け、身体を屈めた。そして祭司の前にある供物を食べようと大きな口を開けた。
ゴキ、という嫌な音がラレイのところまで届いてきた。暗くても、司祭の身体の上半分が蛇に食われ、血が円を描くように吹き出しているのが見えた。
その場にいる、今までの幸せそうな笑顔から血の気が引いていく。蛇神はなおも司祭の身体を食べ進める。
「バ、バケモノォー!」
「キャーー」
叫び声でいっせいに人々が逃げ惑う。今まで信じてきたものに裏切られた失踪感を顔に浮かべて、どこに逃げたらいいのかも分からない人がほとんどだ。
「みなさん!村の外れまで!そこに逃げてください!早く!」
ラレイは逃げる人々に声をかける。このままでは全員あの司祭と同じ目にあうかもしれないのだ。
「みなさん、早……」
ラレイのそばを大きな影がさっと横切る。
まさか………!
その影は蛇神に一直線に向かっていく。
ラレイはその影を無言で見送り、背を向けた。
私は……知らない。何も……
「キャー!こっちに来るーー!」
女の悲鳴で振り返ると、蛇神が祭壇にいる人々を食べつくし、こちらに標的を変えて向かってきていた。
「早く!こっちへ!!」
ラレイはさらに声を張り上げる。一人でも多く、一人でも救いたい。
よくよく蛇神をみていると、あの男と戦っているのが見えた。しかし、相手は自分達の何倍も大きいのだ。交戦の間にも、蛇神は隙を見ては人を食らっている。血が、肉が、辺りを埋め尽くしていく。恐怖の中で傷つき、死んでいく顔がある。人々の悲鳴、絶望、死への恐怖、恐れ、そして混乱の中での救われたい、という願いが錯綜している。楽しいお祭りになるはずなのに、こんなことになっていしまった。
もし自分が村のみんなに早く告げていたらこんなことにはならなかったのだろうか?もっと蛇神に警戒していたら……知っていたのに、何かできるはずだったのに、もし何かしていたらこんな悲惨なことにならなかったのだろうか………人の命を預かる存在だというのに、治すことはできても守ることはできないのだろうか………
「そんな力なんていらない………」
ラレイの目から自然と涙がこぼれた。
「私は、誰ももう傷ついて欲しくない、悲しい姿を見たくならいから医者になったのに、これじゃ……意味がないっ!」
ラレイはキッと蛇神をにらむ。
「私はみんなを守る力が欲しいの!!」
ラレイは力いっぱい叫ぶ。
「みんなを守りたいの!!!」
私は力が欲しい。みんなを守れる力が!
まばゆい光がラレイを包み込む。心が温かくなる。力いっぱい閉じていた瞳を開ける。光に包まれ、辺りには何もない世界。
夢でみたような世界。
さっきまでの地獄のような光景はどこかへ消えてしまい、今あるのは暖かい感情だった。
……そう、ね。これが、ここが本来の………
ラレイの居場所。
もう、今自分のなすべきことはわかった。
二度と同じ過ちは繰り返さない。
……私はここに来たのを後悔していないわ。ここに来たのは私の意志ですから。
ラレイは足を一歩踏む出す。
・・・・・・そう。これは自分で決めたこと。どうなろうと、これが私の道―・・・・・
ラレイを包み込んでいた光が消えた。ラレイは新たに生えた白い翼を広げると蛇神に向かっていく。
ラレイに新しい力が生まれたのだ。
人を守りたいという気持ちが生み出した、聖なる光の力。精霊の力を。
蛇神はラレイに気づくとさっと退く。そしていそいで逃げ出した。ラレイが放つ眩い光は、例え蛇神にも敵わないと本能が知っているからだ。
ラレイは蛇神の後ろにぴったりとくっついている。
「例え神であろうと、私の守るものを傷つければ許さない」
蛇神の動きが止まった。蛇神の周りを囲むように、光の矢がぐるりと囲んでいる。
「愚考を、詫びなさい」
「シャァアアーーー!!」
蛇神の身体が大きくうねり、そして動かなくなる。
ラレイは少しだけ振り返って村を見た。
「ごめんなさい…守れなかった………」
一滴の涙を流すと、ラレイは夜空を滑空して山の向こうの向こうへと姿を消した。
ラレイが涙を流した場所には小さな湖ができ、そこの水はどんな傷や病気にも効くという不思議な水であるという話が今も残っている。