第3解  _引導者_







「シテちゃん遊ぼー!」
「はーい!」
 私より背が高いあの人は、久々の再会にお互い興奮気味だ。
「何して遊ぶ?」
「探検!」
 そう言って私の手を引っ張っていった。




 シテは物思いから覚めると、前にある男の背を探した。相変わらず寝た形跡が ない。
「ねぇ、まだ森抜けないの?」
「……なんだ。飽きたか?」
「ウンザリ」
 そう言って首を垂らす。そしてリースの様子を窺う。リースは前を向いたまま 何も反応がない。シテは声を出さずに頬だけ膨れた。
 変わらない景色が流れ、太陽の日は微かに差し込むだけで陰気になってくる。 昼と夜しかわからないのだ。何の変化もない中を淡々と馬を進める。
 シテはリースの背を見つめていた。特に目の行き場がないからだ。しかし、た め息をついた時に肩が上下するようなことすら起きない。どこを探しても面白い ことがない。何か会話ができればいいのだが、話しかける雰囲気もない。
 シテはため息をつきたくなった。
 本当……何考えてるんだろう。
「誰だ」
 リースが馬を止めてある木を見つめる。シテも馬を止めて同じ木を見つめる。 特に変わった様子はない。
「さすが、だ」 
「っ!」
 二人の見つめる木の陰から全身マントに身を包んだ者が現れた。リースは馬か ら下りるとすっと剣を抜く。シテも下りて構える。しかしマントの人は何もしよ うとしない。シテはむしろ相手には敵意がないんじゃないかと思った。
「用事は?」
 マントの人は少し顔を上げると、リースの方をじっと見つめた。
「リース・エンバルト。お前を闇の王に命ずる」
「……っ!」
 シテははっとリースとマントの人を交互に見る。
 まさか……王の使者!?
 マントの人は微動だにせずリースを見つめている。リースも微動だにしなかっ た。
 シテはリースを見つめる。
 しかも……よりによって闇の王!?
 闇の王と言えばあまりいい噂を聞かない。いつも光の王と相反することしか言 わず、自己中心的な行動をとって光の王を困らせるという。性格にも問題が多く 、世界を安定するにはいささか無理、と言うのが一般常識だ。
 シテはリースの様子を窺う。本当に闇の王になるのだろうか。
 リースはふと使者から目を反らすと鼻で笑った。
「……わかった」
「っ……!」
 使者はそれを聞くと二人に背を向けると一瞬のうちに姿を消した。
 静寂を取り戻した森は、変わらない風をシテのもとに運んできた。リースのマ ントが風に揺れる。シテはリースの正面に回ると首を傾げた。
「……いいの?」
「いいも悪いもないだろう」 「そうだけど……」
 そう。使者の決定は絶対なのだ。王に選ばれたことを拒絶できない。すれば、 シテが今いる世界か、遥か頭上にあるもう一つの世界のどちらかが荒廃するのだ 。どうしてもともと一つの世界だったのに、二つに分けたのだろうか。そんなこ とをしなければ王なんて選ばなくていいのに。それに……
 正直王なんていても、本当に世界は平和になっているをだろうか。争いや貧富 の差はまだある。平和と言い切れるのか?
「浮かない顔だな。俺では不満か?」
「………」
 シテはリースを見つめる。
「うん」
「……正直だな」
「どうも」
 ニッコリ笑う。何かを含んで。
 リースはシテの視線から逃れるように背を向けた。
「ふっ」
 リースは鼻で笑うと馬に乗る。
「ふははははは!」
 リースは声を上げて笑いだした。愉しそうに、肩を揺らして。シテは突然笑いだしたリースを、目を見開いて見る。前にもこんな事があった が、なんとなく雰囲気が違う。自虐的な感じだ。
 リースは馬を進めてからも笑っていた。
「ははは……ふっ」
 鼻で笑うとようやく笑い止んだ。
「なぁ」
「ん?」
 リースが振り返ってシテを見た。
「王になりたいと思ったことがあったか?」
 さっきまでの笑顔が消え、真剣な眼差しでシテに聞く。
「……なかった。選ばれるはずないもの」
 刑務所(あそこ)にいた人 が選ばれるはずない……
 リースはシテの気持ちを察してか、微かに首を振った。
「……俺は一瞬だけあった。だがその時しか考えなかった。それが今になるとは ……」
 リースは遠い目で葉に覆われて見えない空を仰いだ。
「その時、どうして王になりたいって思ったの?」
 リースはゆっくり顎を下げた。
「王と言っても闇の王だぞ?人々から忌み、嫌われる存在になりたかったんだぞ ?普通嫌な顔をするもんだ」
「そう?だからじゃない。どうしてそんな嫌われ役を引き受けたいの?」
「……さあな」
 リースは目を横に流すと馬を進めたまま前を見る。今までと同じように決して シテの方を振り返ろうとしなかった。
 しばらく進んだのち、二人は洞窟の中を進んでいた。王に選ばれた者が必ず行 かなくてはならない場所、二つの世界の中間に位置する至転( してん)(みやこ) に行くため、二人はキルリ(やま) に向かうことになった。その山には至転の都に行くための何かがあるらしい。し かしその何かを見た者はなく、誰にもわかっていない。山に行くには今まで進ん でいたように、北に向かって進むことになる。それにはまずこの森を抜けなくて はならず、それには洞窟を抜けなくてはならいのだ。
「うわ〜ジットリ〜」
 シテは額を流れる汗を拭き取った。湿気が多いのと、気温が高いせいでただ立 っているだけで汗が流れてくる。しかもリースは長いマントを着ているからシテ より厳しいはずだ。なのに一言も声を出していない。シテはそんなリースをじっ と見つめる。
「ねぇ。道知ってるの?」
「いや」
 リースの隣にいた馬が(いなな) いた。  洞窟の中が狭かったため、二人とも馬から降りて歩いていた。
「知らないの?……大丈夫なのかな?」
「……何を心配している?一本道だぞ?」
 それはそうだけど、個人的にジメジメしている所が嫌い。と言うか、パス。
 出口から漏れてもいい光や風がない。ただでさえ体力が奪われているのに、得 体の知れない生き物が潜んでそうで気を使って更に疲れる。
「引き返すか?俺は進むが」
「うっ」
 シテは唇を尖らせた。今更戻りたくない。……正直一人では戻れない。怖くて 。
 まだ文句を言いたかったが、言う気力が無くなって口を閉じた。進んでも進ん でも変化のない洞窟。変わらない気温。無口なリース。
「あ、別れ道」
 変化のない事に飽きていたシテは、道が二つに分かれていて立ち止まった。
「どっちに進む?」
 リースは左右の道を見比べる。どちらも先の様子が見えず、雰囲気が変わらな い。
「どちらでもいい。お前が選べ」
「えっ!?」
 予想外の質問をされ、シテは唸った。
「では。……こっち」
 シテは右の道を指さす。
「行くぞ」
 リースは何の躊躇(ためら) いもなく進み出した。シテにしてみればどちらを選らんでも嫌なことには変わり ないので、その足はますます重くなっていった。
 洞窟はますます深くなっているようで、空気が重く感じる。雰囲気でなく、薄 くなっている感じだ。
「ちょ、ちょっと待って……」
 シテは息を荒くして立ち止まった。リースが振り返る。
「……無理か?」 
 シテは荒い息を必死に整える。
「はっ、はっぁ……だ、大丈夫……」
 それでもシテの息は落ち着かない。
 リースは馬をその場に落ち着かせて、シテに近づく。
「無理なら戻れ。まだ一人でも大丈夫だろう」
 シテは大きく首を振る。リースは大きく息を吐いた。
「……休まないぞ?」
「うん……」 
 言われると解っていたシテは息を整え、力を振り絞る。鉛の足を少しでも前に 動かす。
 リースはそれを見て、少しペースを落としながらシテの先を進む。洞窟はまだ 光を取り込んではくれない。
 ………
 周りに気を配ることや、考えることすら億劫(お っくう)になっている。休むことも、立ち止まることも嫌 に思える。もう何が何だかわからない。リースは二、三歩先だろうか。近くにい るはずなのに、遠くに存在を感じる。
 …ま、待って……
 シテは疲れで目を細める。
 ……ガンバルから……だから……
 足が(もつ)れる。軟か そうな地面が迫ってくる。
 ふっ、と体の反動が落下を止めた。シテはリースかと安心した気持ちで振り返 る。黒い、大きな物が見えた。雰囲気がリースと違ってシテは更に振り返った。
 黒く大きな真ん丸の目がシテをジッと見ている。横に裂けた口の端から白い牙 が獲物を前に(うず)いて 、苦い口臭が鼻を衝く。逃げなきゃ、と思いながらも体が動かない。身を守るは ずの生まれ持った危険を感知する能力と、傀儡(く ぐつ)人形の操り糸みたいな武器は本来の仕事を全うしな い。
 視界が(かす)む。意思 に反して何も動かない。
 ……ま、待って……
 リースの黒い影を必死に追う。右腕に痛みと共に何かが染み込んできて更なる 激痛がシテを駆け巡る。
 耳元で風が微かに鳴った。体が何かに支えられる。
「っは!」
 リースが敵に一撃を払ってシテを奪う。リースはシテを離れた所に座らすと一 人敵に向かっていく。
 腕の痛みとだるさで朦朧(もうろう) とする意識の中でシテはリースを見つめる。
 ……置いてっていいのにー…





 パカ、パカ、と心地よい揺れでシテは目を覚ます。その刹那、体中に痺れと熱 っぽさが広がる。目を開けて周りを伺う。この揺れと、肌寒い風が体を冷やして くれると言うことは、外に出たらしい。リースにどうやって馬を連れてなお、自 分も運んだのかは聞く気になれない。とりあえずリースがどこにいるのだろうか ?
「…リース?」
「ん?」
 すぐ耳元で声がして、シテは顎を上げた。そしてやっと自分が背を伸ばしてい た理由がわかった。リースの前で背中から抱く形になっていたのだ。いつもなら 慌て逃げるが、馬の揺れとこの場所が心地よくて、息を吐くだけだった。
「…抜けられたの?」
「あぁ」
「そっか……」
 シテは再び瞳を閉じる。 
 揺れと、背中の温もりが、気持ちいい。このままここにいたい……ずっと……
 




 自分に危険なことや良くないことが起ころうとすると、決まって何かを嫌な空 気を感じる。そのことを誰にも言った覚えはないが、シテだけ何も起らないのに 対して憧れを通り越して恐れを抱いていた。
 いつも一人だったシテにとって刑務所の中はいつもと変わりなかった。一人に 慣れたシテでもふと思って胸が苦しくなる時がある。
 人が……温かさが恋しくなる時が……
 




 軟らかい物音と心地よい感触にシテは身をよじった。息をついてから違和感に 目を覚ます。
「リース……?」
 どうやらどこかの部屋に寝かされているみたいだ。さっきまで背にいるはずの リースの存在が感じられず、一抹の不安を覚える。ゆっくり身を起こすと体が痛 みを訴えたが我慢できないことではない。しかしベットから出るには無理そうで そのままリースの姿を探す。丸太をそのまま使った造りの壁に日の光が優しく差 し込む。離れた部屋でストーブの上に乗っかっているヤカンから湯気がたってい る。しかし人の気配を感じない。外から薪だろうか、乾いた音がしている。もし かしてと思って窓に身をのり出す。
「お、起きた?」
 後ろから女の人の声がして振り返る。






TOP