第4解  _行くこと、引くこと_







 自分に危険なことや良くないことが起ころうとすると、決まって何かを嫌な空 気を感じる。そのことを誰にも言った覚えはないが、シテだけ何も起らないのに 対して憧れを通り越して恐れを抱いていた。
 いつも一人だったシテにとって刑務所の中はいつもと変わりなかった。一人に 慣れたシテでもふと思って胸が苦しくなる時がある。
 人が……温かさが恋しくなる時が……
 




 軟らかい物音と心地よい感触にシテは身をよじった。息をついてから違和感に 目を覚ます。
「リース……?」
 どうやらどこかの部屋に寝かされているみたいだ。さっきまで背にいるはずの リースの存在が感じられず、一抹の不安を覚える。ゆっくり身を起こすと体が痛 みを訴えたが我慢できないことではない。しかしベットから出るには無理そうで そのままリースの姿を探す。丸太をそのまま使った造りの壁に日の光が優しく差 し込む。離れた部屋でストーブの上に乗っかっているヤカンから湯気がたってい る。しかし人の気配を感じない。外から薪だろうか、乾いた音がしている。もし かしてと思って窓に身をのり出す。
「お、起きた?」
 後ろから女の人の声がして振り返る。体格のよい女の人がこちらに歩いてきた。
「気分はどうだい?……まだ寝てなきゃダメだね」
 シテの額に手を置き、女の人はシテを寝かせる。体は中も外も痛んでいたのだ 。
「あ、あの……」
 リースのことを聞こうとすると女の人が遮った。
「あの兄ちゃんのことかい?安心しな。外で働いてもらってるから」
 と言うことはさっきから外でしている音はリースのものだったのか。
 シテは再び横になって眠りに落ちた。
「終わったぞ」
 リースは言い渡された仕事を片づけたことを報告する。家の片隅に薪の山がで きている。これから厳しい季節を迎えるススクモにとっては備えてなくてはなら ないことだ。
「ありがと。こっち来て休みなよ」
 女の人はリースを招くとテキパキとお茶の用意をする。リースはシテの様子を 窺ってから席についた。
「さっき目を覚ましたよ。……そんなにその子のことが心配?」
「別に……」
 話さないリースに女の人はふ、と笑った。
「まぁ、あんたがあの子を連れて助けを求めてきたときは正直驚いたけどね」
 シテはそのまま寝てしまったが、敵から受けたダメージがひどく、熱にうなさ れていた。普通とは違う熱にリースは近くの町、このススクモに助けを求めた。 ちょうど医者の家の戸を叩いて、シテはなんとかなった。それがこの女の人だ。
「あんた、あの子にちゃんとご飯食べさせてる?」
 女医師がいささかリースを横目で見る。
「……あぁ」
 なぜそんなことを聞くのかわからなかった。
「ならいいけど。普通の女の子に比べたら細っちいねー」
 ……男を吹き飛ばすくらいバカ力があるのに?
 リースは鼻で笑う。
「そばにいてそんなことに気づいてなかったのかい?」
 呆れた、とため息が返ってきた。
 そばにいた、と言っても成り行きだ。
 あの日シテを連れ出したのは気まぐれだった。何も考えてない。別に一緒にい ても邪魔にならないし、料理も作るし戦闘になっても戦える。それに見張りの心 配が減った。シテが覚えたと言った危険を察知する力は夜には最適だ。……しか しそんな技は今まで聞いたことがない。しかしそれを問おうとは思わないし、答 えられても困る。
「………」
 リースは口をつぐんだ。
 それからシテは眠り続けている。容態はよくなっているが目を覚まさない。そ の間リースは医者の手伝いをしていた。治療費は払わない代わりに手伝いを頼ま れた。リースとしては金を払って誰とも関わりたくないが、人から逃げることを 医者に止められてしまった。そのせいでリースは膨れっ面で医者の手伝いをして いる。
「あんた、少しは笑ったらどうだい?」
「………」
 診察を終えた医者がリースを仰ぐ。リースは表情一つ変えない。
「聞いてる?」
「あぁ……」
 リースは軽く答える。
「つれないな〜」
 医者が膨れた。
「少し出かけてくる」
 言いながらドアに手を乗せる。出かけに横目でシテの様子を見て出た。
 のどかな草原が広がり、背には雪をかぶった山岳が続いている。遠くで呑気に 鳴く牛の声が聞こえる。
 リースは広い丘に立つと鞘から刀を抜く。ふっと風が吹いたと同時に刀を横に 払う。ヒュッと空気が鳴る。続けて更に払う。目の前に自分を狙う者でもいるか のように何度も何度も切り続ける。
「ハァ…ハァ……」
 鋭い眼孔を瞼で被うとリースは体勢を整える。流れた汗を振るうと息を吐く。
 ………!
 リースは構えると再び剣を振る。一心不乱に振り続ける。
 俺は……
 脳裏に黒い空と赤い風、絶望の叫び声が蘇る。
 もう……いらない。
 笑顔の家族の表情。一瞬で絶望に引き裂かれる。
 血が、リースの世界を紅く染めた。
「…リ……」  誰かの声がして世界が色を取り戻した。 「……リ……ス………リース?」
 ピタ、とリースの動きが止まる。ゆっくり剣を収めるとリースは振り返った。
「もう、いいのか?」
 聞かれたシテは黙っていた。眉間にしわを寄せてじっとリースを見つめる。容 態の良くなったシテはリースを見つけたが、様子が変に思って来たのだ。
「怖かったよ、今のリース。どうしたの?」
 リースはそのまま歩き出す。黙ったままシテの横をすれ違う時、とっさにシテ は手を伸ばした。
「待ってよ!何かあったの?」
 リースは無言のままうつむいている。
 何か言い出すまでシテはガンとして手を離そうとしない。リースはシテの方を 向くと、その頭の上にポンと手をおいた。
「なんでもないんだ」
 そしてシテから離れていく。
 なんでもない。………長くいすぎたな……
 リースは微笑を浮かべた。
 家に戻った二人は無言のままだった。重い空気が流れる中、医者は二人の様子 を交互に見る。
「シテさん、ちょっといい?」
 部屋の一室に招くと辺りを探し始めた。
「あの〜?」
 医者は手を止めず答えた。
「そろそろ行くのかな〜と思ったから何かと必要な物がいるでしょ?」
 シテは医者の背を見つめる。
「……どうして…?何も言ってないのに……」
「なんとなくわかるのよ。それに、また旅を続けるってことは怪我をするかもしれないでしょ?医者として黙っ て見送るなんてできないわ」
 言いながら次々と物がバックに詰め込まれていく。
「……ありがとうございます」
 シテは深々と頭を下げた。感謝はしているが、先ほどのリースの態度を見てし まい、これからも一緒に行けるのかどうか不安だった。今置いて行かれてもシテ は何もできないだろう。闇の王と呼ばれることとなるリースとこれからも一緒に 行く自信がなかった。王と一緒に行きたいと言う人はいくらでもいる。それにリ ースは一人で行きたがるだろう。
 ……これ、こっそりリースの荷物に入れとこうかな?
 もらった物を腕に抱えてシテは考えた。リースだから一人で突然旅立ってしま うだろう。素直に受け取ってもらえるとも考えにくい。
 シテは考えたあげく、医者からもらった荷物を手に抱えてリースの部屋の前に立っていた。部屋の戸を叩こうと何度も手が上がるが、すぐに下がってしまう。リースに自分がこれからの旅に必要ない、といわれるのが怖いのだ。
 しばらく立ち止まっていると、突然部屋の扉が開いた。
「……入ったらどうだ?」
「………うん」
 シテはリースと目が合わせられなかった。そのままうつむき加減で部屋に入る。リースは近くのイスに腰掛け、シテは手にある物をリースに突き出した。
「これ、お医者さんがあげるって」
 リースはふと目をそれに向けるとまた顔を背けた。
「お前が持っていろ」
「え?」
「俺の分はあるからお前が持っていろ」
「で、でも……」
「でも?」
 初めてリースとシテの目線が合う。シテはつばを飲み込むと意を決した。
「私……これからもついて行っていいの?」
「なんでそんなことを聞く?」
「だって…今日……」
 リースがしての言わんとしていることを理解したのかふぅ、とため息をついた。
「……あれは気にするな。たいしたことではない」
「そう……」
 再び重い空気が流れる。やっぱり言ってくれないんだ……
 少し間が空いてからリースが口を開いた。
「聞きたいか?」
 そりゃ、もちろんでございます。
 と言い出したい言葉を飲み込む。言ってもリースが言うはずがない。
 答えられずシテは黙った。
「……昔に、多くの人間が死んだ」
 リースが淡々と話始める。少し驚いたシテだが、すぐ聞き入れる体勢にな る。リースはシテを見ず、遠くの過去を見つめ始めた。






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