支中の旅人

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  約束………
 ケンカしても、
 地球が滅んでも、
 私はアサミを泣かせない。いつも傍に………
 ナギはそこまで思うとはっと体を起こした。
 アサミの所へ急がないと!
 ナギは獣聖の姿になるとアサミのもとへ駆け上がった。
 王の館についたが、もうすでに戦いは始まっていた。その光景は前に王の館を襲ったのと同じだが、あの時ほどのショックは受けなかった。でも気持ちは同じだった。
 アサミはどこ!?
 必死にその姿を探すが、どこにも見当たらなかった。こういう時はハディルを探すに限る。きっとハディルも獣聖になっていることだろう。人だらけの中、あの獣の姿を探すのは簡単だった。
「ナギ!?」
 ハディルが突然現れたナギに驚く。来ないと思っていたのだろう。ナギはアサミの姿を探すが、どこにも見当たらなかった。そして向かってきた敵を払いながら器用にハディルに話しかけた。
「アサミはどこ?」
 ナギの問いにハディルの顔が曇った。それだけで事を察したナギは深々とため息をついた。
「いないのね………」
 王の館を征服した時と同様で、今回も単独で行動してしまったのだろう。だからハディルはここで一人敵を倒していたのだ。それでもハディルは弁解した。
「アサミ殿にはきつく言ったぞ。だが………」
 結局は逃げられてしまったのだ。ナギはアサミを探すべくハディルに見当がつきそうな所を尋ねた。
「きっと王のもとだろう。ここよりもっと先にある。ここは任せて行ってくれないか?」
 ハディルはここに手一杯で動けないらしい。ナギは頷くと敵の攻撃をかわしつつ飛び上がった。それを追うように敵の矢が正確に飛んでくるが、間一髪の所でまたかわす。そして真っ直ぐに城の入り口を見据えた。その目にはアサミに会った時の心配は一切なく、ただ、昔のように相手を信じきった眼差ししかなかった。
 城の中は薄暗く、外の騒音に比べて静かだった。いや、まるで死を連想させるくらい音がなかった。人の、生きるものの気配がしない。
  (もむけ) (から) ………?
「アサミ!」
 急に不安に刈られたナギはアサミの名前を呼びながら辺りを探し始めた。しかしどんどん先に進んでも、返事は一向に返ってこなかった。



 ものすごく冷たい。でも凍えてしまえたらどんなに楽だろうか。
 アサミは刀身をこちらに向けて構えている王の姿に息を呑んだ。王と呼ばれていただけあってそれなりの気迫がある。手に汗がにじんできて、アサミは太刀の柄を握り直した。
 二人とも先ほどから向き合ったまま動かない。アサミは緊迫した空気に負けないよう、喉を鳴らした。
「お前はこちらの者ではないのだろう?」
 急に声が聞こえて、アサミは思わず声を上げてしまった。話しかけられるとは露も思っていなかった。
「え………?」
「我もいささか今に飽きた」
 王はアサミを視界から追い出すと、アサミの問いかけを無視して勝手に話を続けた。
「この世界中を征服することは簡単すぎる。だから、別の世界に行ってみるのも悪くないと思ったのだ。やがては我の手に収めてみせるがな」
 王はフッ、と笑い、またアサミを見た。アサミは王の言わんとしていることがわかり、即座に声を荒げた。
「そんなことさせない!」
 刃先を王に向ける。
「もう十分じゃない!こんなことして何の意味があるの!?」
「意味、か。そんなことは単純だ」
 王は刀身を薙ぎ払うと構えた。
「我のため。ただそれだけのみ」
 王は踏み込み、アサミとの間合いを一気に縮めた。アサミは咄嗟に受身を取る。鋼の擦れる嫌な音がアサミの耳に響いた。
 なんとか受け取れたアサミは、すぐ下がる。刃が恐くて目を瞑りそうだ。アサミは戦う訓練なんて何も受けていないのだ。それが当然だが、そんなことを言い訳にしていたら一撃で死んでしまう。
 さっきの一撃でアサミの力量を見計らったのか、王が大きく息をついた。
「お前の世界の者はそんなに弱いのか?」
「なっ………!」
 呆れた様子で首を振られ、アサミは何も言い返せなかった。
 こんな殺し合いなんてしないもの。もっと簡単で、もっと罪悪感のない殺しなら………
 そこまで考えてアサミは思考を止めた。こんな時に余計なことは考えないほうがいい。
「それなら簡単そうだな」
 王はまたアサミに構えた。
「でも、あなたなんて誰も受け入れてくれないわ!」
 勇気を振り絞ってやっと声を出せたアサミに、王の動きが止まった。
「何?」
 アサミはうつむきそうになった視線を上げ、王を睨んだ。
「確かにあなたみたいに力は強くない。でも、みんなあなたより心が強いわ」
 王の頬が (あざけ) に吊った。
「そんなものが本当に必要だと思っているのか?」
「思う。誰かを思う気持ちや、何かを信じる気持ちは必要だと思う」
 自分で言って、ふとナギの顔が浮かんだ。それだけでアサミの緊張しきった心が解けた。
「くだらないな。やはり弱い」
 王はもう何も言いたくないらしく、また刀身をアサミに向けた。アサミも構える。
 シン、と空気が滞り、音が聞こえなくなる。水を打った静けさの中で王が一気に踏み込んだ。
 王がアサミに刀身を振り下ろす。アサミはまた間一髪で受け止めて下がるが、間を許さず王はさらに踏み込む。何度も鋼の擦れる音が響いて刃こぼ毀れが生じる。その度アサミの体力は奪われ、反撃するどころか、受け止めることすら難しくなった。
「どうした!これで終わりか!」
「っ!」
 なんとか一撃を受け止めるが、力に押されて足を崩した。
「きゃ」
 構えようと顔を見上げた瞬間、王の不敵に微笑む姿が映った。
 だめ、殺される………
 すでに王はアサミに刃を振り下ろしていた。受けようとするが、一度崩れた体勢では目を瞑ってひたすら逃げるしかできなかった。どんなに生きたいと願ってももう誰も聞き入れてくれない。
 息を呑む。死ぬと覚悟して更に目をきつく閉じた。
「アサミ………?」
 上から優しい声が降ってきて、アサミはとうとう天使が迎えに来たのかと諦めて顔を上げた。
「………」
 アサミは迎えに来た人物を見上げて開いた口が塞がらなかった。何か言おうとするが、金魚のようにただ口がパクパクするだけだった。
 ナギはアサミが無事なことがわかると、切りつけてきた王を押しのけた。
 ナギは微かにアサミと誰かの話し声が聞こえて足を止めた。辺りを見回すと誰かアサミに対して刃が振り上げられている。ナギはそれを見て反射的にアサミを助けていた。
「獣聖、か」
 やはり王でも獣聖は恐いらしい。アサミの時とは違い、十分に間合いを取ってそれ以上踏み込まなかった。
「ナ、ギ………?」
 どうしてここに?と聞いたつもりだったが、聞かれたナギはケンカしてまだ許し合ってないのに、と聞いたと解釈して少し悲しげな表情になった。
「ごめんね。アサミのこと何も考えてなかった。本当に、ごめん」
 銀の長い髪の毛に点々と血の跡が滲んでいる。その背に流れる髪の間から白い双翼が天空を貫かんばかりに広がっていた。
 あの時アサミの見たナギの違う姿は、やはりナギだったのだ。アサミは心のどこかでそれに対して安心すると、王に注意すべく自分に背を向けているナギに首を振った。
「私の方こそごめんなさい。ナギにこんな姿があること知ってた。それにいっぱいナギを傷つけるようなこと言ってごめんね」
 きっと許すはずないだろうと思いながら、アサミはずっとナギの背を見つめていた。ナギは背にアサミの視線を感じながらも、振り返らなかった。振り返ったアサミの顔を見て絶対に泣いてしまう。
「私の方こそごめん。全然アサミのこと考えてなかった。それにハディルのことだって………」
「それはもういいの」
 アサミの明るい声が返ってきた。
「未練がないって言ったらうそになるけれど、もういいの。今は今するべき事をするだけ」
「うん」
 ナギの背にアサミが立ち上がる気配を感じた。王はそれを見て剣の柄を握り直した。
「アサミは隠れていてくれる?」
 ナギは闘争心を見せたアサミの手を軽く押さえた。なぜ?と言う顔をアサミがナギに向けたが、ナギはアサミに言い聞かせるように首を振った。
「ここからは私ひとりで十分だから。もう救導者の仕事はお終い」
 ナギは言い終わるとさっと王に向かって飛び上がった。
 じゃぁナギの仕事って………?
 訳がわからないが、アサミはナギの言う通りにした。正直アサミはナギと一緒に王と対峙しても勝てる自信がなかった。
 アサミは物陰に隠れるとこっそり様子を窺った。ナギは慣れた手つきで王に向かっていく。しなやかで無駄のないその動作に、押していた王が先ほどから守りに徹していた。
 すごい………
 アサミはナギに先ほどから感嘆の眼差しを向けていた。どんなにがんばっても自分には無理だ。どうしてナギが獣の姿になったのかはわからないが、もとからではないはずだ。きっと簡単な決意で獣になったわけではないだろう。
 アサミはどんどん沸いてくる疑問を必死に堪えていた。今すぐにでもナギに聞きたくてうずうずしている。でも出て行ってはいけないのはわかっていた。
 ナギは王に対してどうしても最後の一撃まで手が出せなかった。今まで出会った王に仕えていた者はただ操られていて、痛みなどを感じなかったから躊躇しなかったが、自分の意思がある人を目の前にするとどうしても手を抜いてしまう。王も踏み込んで来ないことを知ったのか、一瞬の隙を突いて反撃に出た。ナギは避けながら切りかかるが、王の剣に弾かれて身体まで届かない。王も同じだが、このままではいつかナギが傷を付けられるかもしれなかった。
 様子を窺っていたアサミも、なんとなくこのままではナギが危ないことを悟って一度手放した刀を再び取った。
 例え自分が出ても何もできないだろう。でもナギの為に何かしたかった。
 近づいてきたナギの背越しに王の姿を捉えた。今はナギに集中していてアサミの方まで気にしていない。
 アサミは覚悟を決めて刀の柄を握り締めた。
「はぁっ!」
 飛び出したアサミはナギの横をすり抜けてまっすぐ王に向かう。突然出てきたアサミに、驚いたナギはただ見送るしかできなかった。
 矢のごとく進む。アサミの刃が王の心臓に近づいた。その距離がどんどん狭まる。刃の長さから、刃先にまで………
 先が服を掠めると、アサミはふっと心が緩んだ。もう、もうこれで終わるーーー
 アサミが手を伸ばしたとき、風でも吹いたように王の身体がしなやかに傾いた。そのままアサミの攻撃をかわすと、逆にアサミを捕らえて、ナギを前にアサミの首筋に自分の武器を当てた。
 一連の動きが咄嗟のことで、ナギはただ見ているしか出来なかった。気がつけばアサミが王の手の中に捕らえられている。しかも、最悪なパターンだった。
「はっ。は、これで、お前はどうするのだ?」
 さすがに王も緊張していたらしく、息が上がっている。でもそれ以上にナギの心臓が脈打っていた。キラリと妖しげに光る刃先が、アサミが咽を鳴らす度動く首筋に舌をはいずり回している。それが耐え切れない。
「取引は?」
 なんとか無傷でアサミを返してくれる方法を、とナギは手を尽くし始めた。
「そう、だな。まずお前達の兵を全員我の近くに寄らせるな。あとは指を咥えて黙って見ていればよい」
「そんなのダメ!」
 アサミが声を上げた。死と言う恐怖が目の前にあるはずななのに、その恐怖は見られず、自分のせいで王が勝ってしまう恐怖に駆られている。
「そんなことじゃ、私達が今までがんばってきたことの意味がないじゃない!」
 アサミの言う通りだ。でも今はそのアサミの言葉に素直に従えない自分に腹が立った。
「言う通りにしたらアサミを放してくれるの?」
「ああ。約束しよう」
 王の頬に不適な笑みが浮かぶ。ナギはそれに気づいていたが、あえて気にしないことにした。でもアサミは王の様子に気づいてまた声を張り上げた。
「ダメ!アサミ!私のことはいいから、みんなのこと裏切らないで!」
「うるさいな!」
 王は舌打ちをすると、わずかに刃を動かした。すると少しでも首筋に食い込んだ刃先が、アサミの首筋を (えぐ) った。
「アサミは黙ってて!」
 刃物が当てられている恐怖と、ナギに叱責され、アサミは口を (つぐ) んだ。
「わかった。だからもう放して」
「それはできない。お前らは信用ならんからな。お前らが先に撤退してもらおうか」
 アサミは静かに、ナギに首を振った。アサミに泣きそうな目で見つめられ、ナギはどうすることも出来なかった。
 アサミが怖くて泣いているのでないことはわかっている。自分のせいで王に負けるのが嫌なのだろう。それだったら、だったら………
 ナギはアサミの考え着きそうなことが浮かんで、咄嗟にアサミの手元を見た。そこにはアサミの刃がまだ握られている。
「ダメ、アサミ!」
 ナギが止めに動くのと、アサミが手を動かすと同時だった。
 王がアサミの動きに気づき、手が反応した。そこへナギが立ち向かう。
 王の手が引かれ、
 アサミの刃物が煌き、
 ナギの鋭い爪が王の心臓に定まった。
 アサミは自由になって王からさっと離れて、力なくその場に腰を落とした。始めてみる鮮血に腰が抜けた。なぜか涙が流れている。
 ナギは吹き出す血をそのまま浴び、王は口を開けたまま固まっていた。王の心臓にはナギの爪が貫いている。ナギは一気に抜くと後ろへ下がった。また吹き出した血が王とナギの距離を示していく。ナギはそれが黄泉の国への道しるべのような気がして顔を背けた。支えを失った王は嫌な音を従えて重力のまま顔から地面に叩きつけられた。
 この場に、ただ、血と沈黙と静寂と。どこかで死に神が微笑んでいた。















 高台から見ると、喜びみ湧き上がる人々を目の当たりにして、アサミとナギは思わず頬を (ほころ) ばせた。
「みんな嬉しそう」
「だってこの日をずっと待ち望んでいたんでしょう?」
「………うん」
 アサミは少しうつむいた。王が倒され、同時に王に支配されていた人々の術が解けると、他の人々も何が起こったのか理解したらしい。誰もが武器を捨て、アサミを (たた) えた。真実は違うから、とアサミは否定したが人々は照れなくていいと軽く受け流すだけだった。それでも否定し続けようとすると、逆にナギに止められた。みんなが嬉しい時に余計なことを言わない方がいい、と。
 それでもハディルはアサミの言うことが真実だと気づいた。ナギとアサミの身体についた血の量の違いがわかったのだ。それでも二人には何も言わなかった。ただ無事な姿を見せてくれて嬉しいとだけ言ってくれた。
「でも、私達にとっては短かったね」
「そう?長かったよ」
 アサミは顔を上げるとナギと同じ風景を眺めた。
「でも、どのくらい経ったのかなぁ?いろいろありすぎてよくわかんなくなっちゃった」
「一緒にがんばったもん」
 ナギが誇らしげに胸を張った。
「ケンカしたけどね」
 それは言わないでよぅ、とナギの胸が少ししぼんだ。アサミは自分で言ってあの時のことを思い出した。
 そう言えば、ケンカしてもまだ全部話してなかった。
「ナギ、傍に居てくれてありがとう」
「う、うん」
 急に真面目に言われ、ナギは気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「私こそ、ありがとう」
 にっこりと照れ笑いしたナギに、アサミも笑い返す。
 なんとなく言葉が思いつかなくて、自然と口が閉じた。爽やかな陽気に風がそよぐ。ゆっくりと流れる白い雲が眩しかった。
「ナギ、帰らなくてもいいの?」
「どう、して?」
 まるで帰る方法があるようなアサミの物言いに、ナギは一度決心した心が揺らいだ。アサミはそれを見越して優しく微笑んだ。
「ううん。後悔してるんじゃないかと思って」
「後悔、か」
 そんなことを考えた時もあったな、と思ってナギは思い出し笑いをした。アサミに心配な眼差しを向けられたが、構わず笑い続けた。
「もうそんなこと考えないよ。ここに来てよかった。アサミが救導者に選ばれてよかったと思ってる」
「本当に?」
 本当に心配しているらしく、表情が真剣だった。ナギは吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。
「本当だって!安心してよ」
「………うん」
 まだ視線は心配しているが、ナギは微笑んでさらに安心させた。
「ナギはこれからどうするの?」
 機嫌を取り直してアサミが少し躊躇して聞いてきた。どうやらさっきからアサミはそれが聞きたかったらしい。
「どうしようかなぁ………」
 答えに困ってナギは空を仰いだ。そのことはよく考えるが、ナギ自身答えが見つからないでいた。
「アサミは?」
 答えの () け口が見つからず、アサミに聞いてみた。アサミはうん、と小さく頷いた。
「隠居じゃないけど、どこかでひっそりと暮らしていけたらいいなと思ってる」
「え!王になるんじゃないの!?」
「もう!ナギ!」
 ナギは半分ふざけてアサミをからかう。アサミもそれがわかってふざけ返した。
「じゃ、ナギはその王の大臣になって、王の仕事全部やってくれるんだよね?」
「えーー!」
 ふざけ合って、顔を見合わせて笑った。でも、本当の所はどうなんだろう。王亡き後、誰が王になるのだろう。こういう時はアサミが王になるのが一番だとナギは心の底では思っていた。
「じゃ、居候しようかなぁ」
 意味ありげにアサミを見ると、アサミは嬉しそうに大きく頷いた。
「いいよ!来てよ!おもてなしするから!」
「いや、客じゃないんだからもてなさなくていいんだよ?」
「じゃ、家事全般よろしくね。お母さん」
「こら!」
 ナギに言われ、アサミはまたケラケラと笑い出した。遠くでハディルが二人に手招きをしている。 麻美 (アサミ) 菜枝 (ナギ) は顔を見合わせるとまた笑い合って二人でハディルの元へ駆け出した。



















 たとえもとの世界に戻れなくても、

 たとえもとの姿に戻れなくなっても、

 たとえ再び争うことになっても、


 私達はココにいる。

 私達はココを受け入れる。

 そう、決めたから。



















  さよなら………