「救導者が捕らえられたぞー!」
戦場から帰ってきた伝達がいきなり大声で叫んだ。その響き渡る声で残っていた者達の間に波紋が広まった。目を覚ましていたナギは反射的に外に飛び出すと、その兵士を目で捉えた。
「どういうことだ!?」
口々に質問が飛び出す。今どうしているのか、なんで捕まったのか、などあちこちで声が上がった。
「なんでも、救導者が単独で話し合いをしたいって乗り込んだらしい。そしたらあっさり捕まったってさ。救導者ってものも、どうなんだろうなぁ」
ナギは会話の最後の方は全く聞いていなかった。アサミが捕まった………?
「アサミはどこにいるの!?」
「ひぇっ?」
急に大声で聞かれ、驚いた兵士は目を丸くした。それでもナギの気迫にたじろぎながら答えた。
「ひ、東だよ。この先にでっかい館がある。周りに何もない所に館だけがあるから間違わないと思うけど………」
ナギは話も中程に外へ出る柵に手をかけていた。
死なせはしない。絶対に。
ハディルがくれた服の背から翼を広げ、天空へ駆け上がる。風に布が
靡
き、真紅が青空に翻る。ナギは全速力で飛んだ。東に、アサミのいる所目指して。
ナギは上空から見下ろして、兵士が言った通りだと思った。広野にポツンと金に光る宮殿が見えた。それも今ではアリのようにうごめく人か、血を流して横たわる人で埋め尽くされていた。ここまで血の臭いが漂って、気持ち悪くて吐きそう。
ひどい………
宮殿を包囲するアサミの軍旗を見つけた。アサミが捕まったとすればハディルは一緒じゃないだろう。でも土地勘がないのでハディルの姿を探すことにした。
ナギは軍旗の近くに降り立つと、傍にいた兵士に槍の矛先を向けられた。
「何者だ!貴様!」
ナギだとわからないのだろうか?と、思ったが、今は見た目が変わっているのだ。集中してもとの姿に戻ると、兵士は呆気に取られていたが、ナギと思い当たり、矛先を降ろしてくれた。
「あなたはまだ来ないとハディル様に聞いていたが………?」
「アサミが捕まったんでしょう?」
は?と首を傾げられた。そうか、ここでは救導者だった。
「救導者が捕まったんでしょう?」
ナギは兵士にわかるように言い直した。すごく
煩
わしい。本当は救導者、じゃなくてアサミ、でいいのに。
兵士は失望に駆られた表情で頷いた。
「それで、ハディルは?」
「ハディル様は今、中にいらっしゃります」
中、と視線でその場所を教えられた。この建物で唯一の入り口の先らしい。
ナギは手短に礼を言うとその入り口へ急いだ。
「ハディル」
名を呼ばれ、指揮をとっていたハディルが振り返る。その視線の先にはハディルを睨みつけているナギがいた。
「どういうこと?」
言われることは覚悟していたのだろう。答えはすぐに返ってきた。
「アサミ殿が私に断りなく決断したこと。アサミ殿に、王がどのようなことを考えているのかわかっていただけなかった。だからこんなことに………」
ナギはハディルの投げやりな言い方に腹が立った。さっきからアサミのこととなると、二言目には呆れた、失望した、と言う反応しか返ってこない。ナギにはそれが耐え切れなかった。
「いつもアサミの傍にいるんじゃなかったの?あらゆる災厄から守るんじゃなかったの?」
今さらこんなことを言っても始まらないが、何か言わないと気が済まない。
声を荒げるとハディルの表情に影がささった。
「だから嫌なのよ。誰もアサミがどうしたいか解かってないじゃない!」
さらに声を張り上げたせいで、その場にいた者が全員手を止めてナギを仰ぎ見た。それでもナギの勢いは止まらない。
「アサミはみんなから救導者、救導者、救導者って言われてる。でも、だからって誰もその『救導者』を信頼してないじゃない!やることだけやらせて、やりたいことはダメ?そんなのおかしくないの!?捕まったから、もうダメ?違うでしょ!捕まらないように守るのも、正しい方に道を示してあげるのもあなた達の、救導者に従う者の仕事じゃないの!?」
そこまで一気に言い切ると、辺りがしんと静まり返っていた。あらゆる方向からの視線を浴びて、ナギはハディルに捲くし立てた時とは別の熱が頭に上がる。穴があるのなら今すぐ頭の先まで入りたい。
「そう、だな」
「ああ。間違ってた」
ぽつぽつと声が聞こえてた。沸騰していたナギの頭がそれで冷めていく。
「救導者を信じてなかった」
次々に上がる声。ハディルは辺りの者の様子を見て顔を上げた。
「行こう。救導者を助けに」
獣聖になったハディルが一歩進む。そのあとに兵士が続いた。
「戦うのか?」
着いて来るナギに獣の目で問いかけた。
「戦う」
ナギも同じく獣の目で答えた。そう、戦う。信じるアサミのために。
ナギは獣の姿になると頭が冴えた。きつい血の臭いも慣れてさっきより気にならない。
ハディルと肩を並べて歩くと、すれ違った全ての者が固まっていた。獣聖に会えることすら珍しいのに、それが二人もいることは天と地がひっくり返るほど珍しいことらしい。いや、天と地がひっくり返ることは珍しいことでなく、ありえないことだが。
敵も同じらしく、刃を構えるが振り下ろす勇気が出てこないでいる。何人もの敵は恐怖に顔を引き
攣
らせて
屍
の仲間入りをしていった。それでもアサミがいる宮殿の中には簡単に入れなかった。敵の中には
志
強い者が立ち向かってくる。そういう者に続けと、いつの間にか二人はたくさんの敵に囲まれていた。どんなに倒しても減らない。立ち向かってくる者には恐怖と言う念が一切感じ取れなかった。前にハディルが言っていたが、敵の中には家族だっているはずだ。それなのになんの
躊躇
も見られない。
誰かに操られてる………?
不意にそんな考えが浮かんで、一人で納得した。そうすればどんなに嫌だったとしても、何も考えずに戦える。戦い方を知らなくても戦士にさせられる。王はそこまでしてもハディル達に勝ちたいのだろう?どうしてそこまでする意味があるのだろう?それでもナギにはそのほうが楽だった。操られてない、逃げ出す敵の方がもっと嬉しいが、どんな敵でも深追いしなければお互い生きてられる。誰も死なずに済む。
そういえばシーハは?
ナギは戦いながら頭の隅でそんなことを考えた。
ハディルと一緒に行ったはずだ。しかしどんなによく見えるようになった目で探しても、シーハの姿を捕らえることができなかった。死体の報告の中にもなかったから、生きているはずだが、この目で姿を見て安心したかった。でも、今すぐには叶わないことは解かっている。それでも会いたい気持ちを抑えきれず、脳裏に浮かんだシーハの無邪気な笑顔を想い、ナギは苦笑した。
私、こんな時にこんなことを考えられる人だったんだ。
色々変わりすぎて、自分も変わったことに今気づかされた。
向かってくる敵を無意識に倒していく。
「やはりお前か」
血の音に混じって冷笑するハディルの声が聞こえた。
「やけに兵が準備されていると思ったが、お前が密告者か?」
え………?
今度の作戦は、向こうは知らないはずでしょう?
何か嫌な予感がして振り返ってみると、そこにハディルと対峙するシーハの姿に目が留まった。シーハは武装して剣先をハディルに向けている。その目は真剣だった。
「シーハ?」
思わず呟いた言葉は辺りの音にかき消され、二人には届かなかった。ナギは衝撃のあまり目が二人に釘付けになり、身動きが取れなかった。
「ふん。今さら気づいてももう遅い」
いつもの明るいシーハとは打って変わって、冷たく怖い言い方だった。脳裏に浮かんだ無邪気な笑顔と、今の血走って引きつった笑顔がナギを余計に混乱させる。
「お前が悪いんだ。あいつは獣聖にしたのに、俺を獣聖にしなかったから」
え………
もしかしてあの夜のことを見られてた?でもあの時はアサミと一緒にいたはずじゃ………ナギが思っていたことと、シーハの口から告げられる言葉とで混乱して、ナギはどうすることもできなかった。それでもシーハが言っていることが真実なのだろうが、ナギはそれを受け入れられなかった。
「言っただろう。お前の体質では無理だと。これは生まれつきの問題なのだ」
「うるさいっ!あいつはできたのに、俺ができないわけがない!」
シーハの握り締める短剣に力が入った。怒りと憎しみでその剣先が震えている。
「シーハ………?」
もう少しはっきりした声でナギが呼びかけると、ようやく二人に声が届いた。シーハはナギを見ると首を傾げ、ショックで震えているナギをせせら笑った。
「どうしたんだ?まだ寝てると思ってたよ」
平然と答え、目をしっかり合わせられた。嫌、と咄嗟にナギは目を逸らした。
「それはないんじゃない?傷ついちゃうよ」
へらへら笑って手持ちの短剣で遊ぶシーハを見て、ナギはいつの間にか泣いていた。でもその想いはシーハには届かなかった。
「あれ?どうしたの?俺が裏切っていたことを知ってそんなにショックだった?でもそんなことくらいで泣いちゃダメだよ?そんなことしてると、ナギの大切な人が死んじゃうかもよ?」
ナギはシーハの言葉にはっと顔を上げた。シーハは首にかけてあった笛を短く鳴らすと、シーハを取り囲むように敵が集まってきた。
「もう気づいていると思うけど、今いる兵士はみんな操られているんだ。その兵士を動かす鍵がこの笛。俺、王様から直々に頂いたんだ」
うっとりと笛に口付けし、シーハがまた短く笛を鳴らす。一斉に兵士が武器を構えた。
「お前が術をかけたのか!?」
ハディルがシーハを睨みつける。シーハは表情を険しくすると、笛を強く吹き鳴らした。
「違うさ!」
一斉に兵士がハディルとナギに襲いかかった。
ナギはまだシーハの言葉が信じられなかかった。本当のことを本人の口から聞きたい。
どうして自分の国を荒れさせる王に従うの?
どうして王に立ち向かう、克復軍にいたの?
どうしてアサミの傍にいたの?
どうして、
どうして私に優しくしてくれたの?
アリのように群がる敵を薙ぎ払うと、その先にシーハの姿を捉えた。
「シーハ!」
ナギは叫ぶと、シーハへと続く人の道を薙ぎ開いた。
「どうしてこんなことを!」
シーハもナギに気づいて近づいてきた。
「全て王のためさ!」
「王のためなら何でもするの?」
もうシーハが目の前まで迫っていた。できることなら戦いたくない。王なんかに従わないで、アサミと一緒に戦ってほしい。あの無邪気な笑顔が戻ってきてほしい。
「そうさ。敵をよく知るにはこれくらい当たり前だろう!」
シーハは残りのナギとの距離を一気に踏み込むと、剣を振り上げた。ナギはそれを鋭い爪で受け止める。それをシーハはうっとりと眺めた。
「綺麗だなぁ。俺もこうなるはずだった。でも、あのケチがそうさせなかった。どうだ?俺の欲しい物が手に入った気分は」
苦しいよ。
そう伝えたかった。獣聖になった時の痛みを誰かに伝えることはもちろん、獣聖になった気分を伝えるのは難しかった。それでも、伝えられる想いがあった。
「すき、だったのに………」
涙を浮かべてシーハに伝えるが、逆にクシャッと顔を歪められた。どうしてそんなこと言うの?と言う感じだった。
「知ってたよ。だから解かってよ」
シーハの振り上げた短剣が左肩に食い込んだ。
「っ!」
痛さのあまりシーハから飛びのき、膝を付いた。シーハは刃先についた血を薙ぎ払うと、すでに多くの兵士に取り押さえられて身動きの取れないハディルに歩み寄った。
「ご苦労、ご苦労。とどめは俺が刺す」
シーハは嬉しそうにハディルを見下ろす。うつ伏せにされたハディルは何度も抵抗を試みる。
「無理だよハディルちゃーん。お前がどんなにがんばったって、操られている限りこいつらの力は衰えないんだから」
ケラケラ笑うと、笛を口にくわえた。ナギはゆっくり立ち上がってシーハの様子を伺う。
「そろそろアサミちゃんにも死んでもらおうかな。ナギを連れてきてもらったし、何より今お前を殺せるしね」
え………?
アサミを殺す?
聞いてはいけない言葉を耳にして、ナギは動きを固めた。そんなの無理だ、と思ったが、今のシーハにはそれができるのだ。一吹き、たった一吹き笛を鳴らすだけで、操られている兵士がアサミに刃を振り上げられるのだ。ハディルを助けようと浮きかけた足が地に戻った。今自分はどうしたらいいのだろう?アサミを助けに行くの?どこにいるのかわからないし、兵士より早く見つけられる自信がない。ハディルを助けたいが、シーハが笛を吹く前には無理だろう。そうすると、シーハを………
一人で迷っていると、ハディルが顔を上げ、ナギに向かって声を振り絞った。
「ナギ!俺はいいから、あいつを止めろ!」
ナギの目がハディルとシーハを交互に見る。笛を吹こうと息を吸い込むシーハを察知して、ハディルが更に声を張り上げた。
「殺せ、ナギ!あいつはもうシーハじゃない!敵だ!」
最後の言葉に、ナギの目に本能の
灯火
が上がった。
「ナギ!」
理性を手放す瞬間、誰かに呼ばれた気がした。あの声はハディルだったのかもしれない。シーハだったのかもしれない。あるいは、啓太君の声だったのかもしれない。
でも、もう地面を蹴り上げていた。
白い翼が空を切る。
身体を
僅
僅かに傾け、人を殺して赤くなった鋭い爪を振り上げた。
その
赤の目から涙が流れた。
その
青の目から血が流れた。
いつくもの屍を乗り越えて、ナギはアサミの捕らえられている場所へと進んで行く。向かってくる敵はもうほとんどなく、ほぼ陥落状態だった。
急ぐハディルとナギは無言だった。ナギは何か言う気力は無いし、ハディルはそんなナギを気遣って何も言わない。それでもその沈黙がたまに重荷に感じられた。シーハに刃を向けた罪悪感に押しつぶされそうになる。
「大丈夫………か?」
やっとハディルが重々しく口を開いた。
「………うん。なんとかね」
また重い沈黙が流れた。
「………後悔してるか?」
ナギは首を傾げた。
「よくわかんない。あの時のこと覚えてないんだ。シーハ、死んだの?」
ハディルはちら、とナギを見た。
「いや。確認してないから、生きているのか、それとも死んでいるのかわからない」
「そっか………」
二人は目の前の曲がり角を曲がると、監守の兵を薙ぎ払った。ナギはその奥の部屋にいたアサミの姿を確認してほっとした。だが目がうつろで、意識が朦朧としているようだった。
「アサミ!」
「アサミ殿!」
二人はアサミに駆け寄ると、ナギがその身を抱えた。近くでアサミの様子を窺ったが外傷はなく、大丈夫そうだった。
「帰るよ、アサミ」
ナギは意識の混乱しているアサミにそっと話しかけると、アサミを気遣いながら優しく飛び上がった。
「……、…」
アサミが口を動かして何か言っていたが、風の音に消されてナギに届かなかった。何か言っていたことに気づいたナギが聞き返す前にアサミが瞼を閉じてしまった。
ナギはアサミを自軍の部屋で休ませると、すぐに医者を呼んだ。医者は異常なし、と診断を終えて部屋から出て行った。
「アサミが目を覚ましたらアジトに帰るの?」
アサミの様子を見ていたナギは後ろで立っているハディルに聞いた。
「そうだな。もうここには用がないから、帰るしかなかろう」
「じゃあ私は先に帰ってるね」
ナギは立ち上がるとアサミに背を向けた。
「もともとこっちに来るって言ってないもん。アサミにも来てないって言っといてくれる?」
「………わかった」
ハディルは何か言いたげだったが、ナギはハディルに背を向けて、無言でハデイルの質問を遮った。
「ナギ!」
ハディルがナギを呼び止めた。
「アサミ殿には獣聖のことを言ってないのか?」
うん、とナギは振り返った。
「言ってないから、言わないでおいて。言わなくても害はなし」
それに余計な負担はアサミにかけちゃいけないから。
「………わかった」
少し重い返事を背に受けながらナギは驟雨のあとの晴れ晴れとした空へ飛び上がった。少し暖かいその匂いにナギは微かに鼻をすすった。