あなたは
運命
に従いますか。
それとも
宿命
に従いますか。
「世界なんて滅びちゃえばいい」
なんてしょっちゅう考えてる。
今だって。
「疲れた〜」
「眠ぃ〜」
一泊二日のクラス旅行の帰り、人目を気にせず大きな口を開けてあくびをしているアサミを後目に、ナギは窓から流れる景色を眺めていた。
バスの中は昨日まではしゃいでいたのと、外が暗いせいで大半がもう夢の中だ。もちろんナギもその一人だが、どうしてもアサミのように人のいる所で眠るという芸当ができなくて、一人きりの空間を思う存分味わっていた。
別に現実逃避しているわけじゃないよ?
誰に話すべくもなく、独り言を心で続ける。ナギは窓に映る自分の姿越しに外を眺めた。厚い雲がナギをさらに一人の世界に導く。
ただ、こんな退屈な世界じゃなくて、もっと他の世界ってないのかな?
人間の欲に満ちていない世界。人間以外の支配がありえる世界。
だってさ、宇宙は広いんだよ?他の星だってあるかもしれないし。自分の知らない人がいて、知らない生活があって、知らないルールがある。………あればいいのになぁ。
今にも雨が降り出しそうだな、とナギは顔を上げた。旅行だと言っても
高
が知れている。どうせするなら外国にすればいいのに。代わり映えしない風景はナギに何の刺激も与えてくれはしない。
ふっと横を見たら、いつの間にかアサミは他のクラスメイトと同様、夢の中へと仲間入りしていた。その様子を見ているとナギもだんだんも眠くなってきた。眠気を
誘
うかのような雨が心地よく窓を叩いている。
眠気に勝てずに半目を閉じていたナギは、突風が駆けた瞬間の揺れで目を覚ました。しかし大した揺れでなく、ほんのわずかにバスを揺らしただけだったが、それでもそれで目が覚めたナギは外の様子を窺った。眠くなる前より、心なしか雨足が強くなっている気がする。
ナギは誰かに心を掻き乱れた気がして、不安げに外を見回した。黒い雨雲は未だ晴れる気配すら見せないでいる。雲は小さな山を覆い隠している。その頂にちらっと黒い影が見えた。よく見えなかったので目を瞬いてみたが、もうそこには何も見当たらなかった。
不思議で首を傾げた。しかし何もなかったのでこれ以上納得がいかないまま、ナギは再び座席に身を沈めるが、気にかかってもう一度影を探そうと身体を起こした。そのとき、また突風がバスを揺らした。ナギは咄嗟に小さな窓に鼻を押し付けた。
一瞬、
何もかも一瞬のことだった。
微かに。でも、はっきりと黒い影とナギ、お互いの目を見つめ合った。
緑色の目と、赤の目の視線がぶつかる。
……狼?
ナギは急に襲われた眠気の中で今見た目を必死に思い出していたが、とうとう意識を手放した。
う〜ん………ふかふかぁ
ナギは気持ちよさにその身をよじった。
もうちょっと…
ゴッ!
「い、痛た………」
誰かに足のすねを蹴られて快眠を妨げられたナギは、身をよじってようやく目を覚ました。この二日間、夜中
中
クラスメイトが騒いでいたおかげでほとんど眠れなかったのだ。もう少し………
………ここ
………どこ?
見たことのないもので自分が囲まれている。さっきまで寝ていた、夢の中で蒲団と思っていたものは、羽毛のようにふかふかした物にただ布を
被
せているだけの簡素な物だった。
自分がいる建物は木やコンクリートでなく布のせいか、壁が黄ばんだ布で覆われている。テントだろうか。ナギの辺りにある小物類は、一体何に使うのか分からないものばかりだ。
夢だ。これは夢に違いない
ナギは自分にそう言い聞かせてまた瞼を閉じたが、隣でぐっすり寝ているアサミの息使いを聞くと、ふと夢でないことを悟った。
じゃぁ………どうして?
一瞬、胸に思いが叶った幸福感と満足感。それと少し遅れて不安が競り上がった。
私、知らない所にいる。
しかしここがどんな世界で、ここがナギの思い描いているような世界でないのかもしれない。
とりあえずここから出よう。そう思って熟睡しているアサミを叩き起こした。寝起きの悪いアサミはしばらく夢の中にいたが、ようやく異変に気づいて慌てて一緒に立ち上がった。
ちょうどその時、テントの入り口に誰か入ってきて二人は同時に身を縮めた。入って来たのは男性だった。だが二人はその男性の容姿に目を奪われてしまった。
一見普通の人間に見える。だが、目と髪が人工的にしか作れない青色をしていた。それに耳が異様に細長かった。着ている服はなんとも例えにくい。全体的にフワフワしいて、どこかの民族衣装だろうか。
ナギは怖くて反射的にアサミの手を引っ張ってテントの隅へ飛びのいた。
「あんた、誰よ!」
挑むようにナギは男を睨みつける。自分達と同じくらいの歳に見えるが、何をされるかわからない。もしかしたら殺されるのかもしれない。
ナギは手近にあった棒切れを手に取るとそれを男に突き出した。細くて、見事なまでに丈夫とは言えないが、この際武器がないよりましだ。今の状況ではこれしか身を守れそうなものはない。
男は
嘲
るように軽くため息を吐くと、一言、二言何か喋った。しかし今まで一度も聞いたことのない言葉で、ナギには何を言っているのかさっぱりわからなかった。むしろ知らない言葉を聞いて、一気に緊張が高まった。
「安心しろ、って言ってるじゃんか、ナギ」
「えっ!?」
急に後ろにいたアサミに言われ、ナギは男から視線を離した。
「アサミはあいつの言ってることがわかるの?」
「え?ナギには聞こえないの?」
アサミが不思議そうに首を傾げた。
わかってる。目を見ればわかる。アサミは本当にわかるんだ。
ナギは男に視線を戻した。
「ねぇアサミ。あいつ、なんて言ってるのか通訳してくれる?」
アサミもナギには男の言葉がわからないこと悟り、男の話したことを通訳してくれた。
「『安心しろ。私は何もしない。』って」
「そんなこと言われても………」
わからない。どうしてアサミには言葉がわかって、どうして私にはわからないのだろう。
あれこれ考えても仕方ない。
ナギは棒を男に突きつけて怒鳴った。
「どいて!消えて!」
男はナギの気迫に気圧されて後退りした。しかしまたため息を吐くと、すっと人差し指をナギの額に伸ばした。ナギは怖くなって逃げようとするが、男はナギより早くナギの額にたどり着いた。
『
陰
』
軽く、冷たい風の流れを感じたかと思うと、急に身体が動かなくなった。
ナギは恐怖に駆られて顔が蒼白になった。力を込めて身体を動かそうとするが、ピクリとも動かない。
男はナギが動かないのを確認するとアサミに一歩近づいた。男がアサミに向かって口を開くが、ナギの耳に届いた言葉はやはり聞いたこともない言葉だった。
『本当に何もしないつもりでしたが、どうも話を聞き入れようとしないものですから………』
『そういう性格なんで許してください』
アサミの答えに男が驚きに目を見開く。ナギは話の内容が解からないのに加え、男の驚き様に不安になった。
なに?どうしたの?
『さすが
救導者
様。やはり言葉がわかるのですね』
『え?えぇ??』
アサミの表情に困惑の色が浮かんだ。
どうしたの?何を言われたの?
『で、ここは?』
『克復軍のアジトです。………と言ってもわからないのでしたね』
身体の自由を奪われたナギをよそに、勝手に二人の会話が成り立っているらしく、二人とも途絶えることなく何か話している。ナギは手や足を動かそうとしていたが、やはり動かない。まるで自分の意思に反して誰かに操られているようだった。
………そんなの、イヤ。
涙がこぼれそうで、ナギは腕に力を込めた。
一人は………一人になるのは………イ、ヤ。
動こうとして腕の筋肉がヒクヒクする。千切れるのではないかと思ったが、一人取り残されるよりはいい。
手から棒切れが滑り落ちた。それを合図に体がほんのわずかに動き始めた。
『バカなっ!』
男が慌ててその場から跳び下がる。ナギは歯を食いしばって必死に腕を伸ばした。
まだ………
反対の腕も伸び、右足が浮いた。押さえつける力に抗っているためか、腕と足の一部から刃物で切られたような小さな傷が浮かび上がった。そこから血が流れても、ナギはやめようとしなかった。
すでに男の顔は驚愕に目を見開いていた。隣にいたアサミは手で顔を覆っている。
もう少し………
地面がナギの血を吸い上げると、身体も大分自由になってきた。身体が全て自由になるまであと少しの時、アサミがナギを止めようとナギの腰に抱きついた。
『もうやめて!』
アサミの言葉を聞いて男が指をはじくと、ナギを縛っていた力が解けた。その拍子にナギは赤く染まった地面に膝を付いた。そのそば傍にアサミが心配そうに着いた。
『彼女に、まだ戦う意思があるか聞いていただけませんか?』
男の質問にアサミは頷くと、その旨をナギに伝えた。
「今は大人しくしよう?ここがどんな所かわからないんだからね?」
何か言いたげそうなナギを制して、アサミが説得する。ナギは男に対する警戒の眼差しは忘れずにしぶしぶ頷いた。
『では』
男はナギと同じ目線になるように膝を曲げると、そっと
耳朶
をまさぐった。男の動作にナギの表情がさっと恐怖に染まり、アサミの顔を覗いた。
『何をする気?』
アサミがナギの意図を汲み取って聞く。男はアサミと、後で取ってつけたかのようにナギにも笑みを見せた。
『この者にも言葉がわかるようにいたすのです。心配はありません』
小さな水色の石を取り出すと、そっとナギの耳に触れさせた。すると吸い込まれるように石が埋まり、頭を出してナギの耳に納まった。
「なにこれっ!気持ち悪いよ〜」
気味が悪くて石を引っかくが、痛いだけで取れる気配を見せない。
「いざとなったら外せます。慣れるまでは辛抱してください」
えっ………
初めて男の言葉がわかったショックでナギの思考が停止してしまった。男はそんなナギに立ち上がると、十字に指を切り、ナギの傷口に指先を当てた。
「
戒
」
男の言葉にすっと血が止まり、傷口もなくなった。二人は驚きに男の顔と消えた傷口を交互に見た。男が二人の視線に気恥ずかしげに咳払いをもらした。
「では、まず何からお話すればよろしいしょうか?」
あくまでアサミに対した話し方で男が話し始めた。なんだかそれが気に入らなくてナギはアサミより素早く口を開いた。
「私達を家に帰して」
当然の質問に、男はただ首を横に振った。
「それは無理です。貴方方はここにいるしかない」
「なぜ?」
不安になったアサミがナギの手を取った。ナギもその手を握り返した。
「貴方方がこちらに来た時点で、もとの世界に、元の貴方方の歴史が他の者と摺り替えられました」
二人はしばし首を傾げた。なんとなく言っていることが理解できたアサミが言葉を返した。
「と言うことは、今私達が帰っても、誰も私達のことを知っている人がいないってこと?私達の親が見ず知らずの子供を可愛がっているってこと?」
「そうです」
男が理解できたアサミに敬しく頭を下げた。ようやく男の言っていることが理解できたナギは声を荒げた。
「冗談じゃないよ!こんなの脅迫じゃん!」
「お、落ち着いてよナギ………」
怒りのあまり拳を握り締めたナギを、アサミがなだめる。
「で、私達は何でここに呼ばれたの?偶然、じゃないんでしょう?」
「はい。私の国では今王と我々の戦争の真っ只中です。我々が勝ち残るためには救導者がどうしても必要だとある日予見者が見たのです。あなたが」
男がアサミに頭を下げた。
「
救導者
だと」
「いきなり救導者って言われても………」
え………
ナギは一瞬思考が止まったがアサミに明らかに困った顔を向けられ、たじろいでしまった。凍てつく思考をそれでも必死に頭を働かせてナギは男に訊ねた。
「と、とりあえず確認したいんだけど、私達は帰れないの?」
「…はい」
「しかもアサミは貴方達が王に勝つように導く人なの?」
「そうです」
「やっぱり、ここは地球じゃないないんだ………」
「残念ながら、この世界にはそのような言葉は存在しておりません」
「………」
「………」
ナギとアサミはお互いの顔を見つめ、落胆の色を見せ合うしかできなかった。
本来なら今ごろはまだバスに揺られている頃だろう。それなのに、そのはずなのに二人だけ今までいた世界から切り離されてしまった。いや、世界から見放されてしまった。それにこの世界がナギの思い描いていたようなルールじゃなかった。いままで自分が異世界に呼ばれていたと思っていたのに、それはアサミの方だと言うのだ。でもそのことも今は深く考えられなかった。
「これから、私達はどうすればいいの?」
やっと口を開いたアサミは、重々しく男に尋ねた。
「まず契約をしていただきます」
「契約?」
「はい。ついて来て下さい」
男が入ってきた所から外に出て行った。アサミがそれに従って外に出ようとしたので、ナギは咄嗟にその手をつかんだ。
「あいつの言うことを信じるの?」
アサミが振り返った。その目にはもう迷いや不安が一切なかった。
「だって、私達が目覚めて私達の世界じゃありえないことが起きたじゃない。ナギが動けなくなったり、傷が治ったり、知らない言葉が石で聞こえるようになったり」
「でも………」
「それに、大丈夫だよ」
アサミは笑顔でナギを引っぱった。
「あの人は私達に危害を加えるつもりはないよ」
確かにそうだ。そのつもりなら、ナギに付けた傷を癒さないはずだ。でも、でも………
ナギは何か納得がいかないままテントから外に出た。
「えっ………」
二人はテントから出てそのまま足を止めてしまった。たくさんの顔が二人に対して興味津々に首を伸ばして見ている。進めないほどたくさん人がいるのに、二人に似た姿をした人を一人も見かけず、ここが地球じゃないことを思い知らされた。
「あの女の子かね?」
「まだ子どもじゃないか」
たくさんの目がこちらを向いている。ナギはどこか虫が悪くてさっきの男の姿を探した。男は人垣を分けて、二人に、いや、アサミのために道を開けていた。
「みんな、道を開けてくれないか?………ありがとう」
男の一言で狭いながらも道が開いた。
「さ、こちらです」
すこし権力のある人なんだろうと思いながら、二人は男の後を黙ってついて行った。二人の動きに合わせて人々の首も動く。
「あんまいい気がしないね」
「うん………」
二人とももともとこういう人の目が嫌いだ。二人は逃げるように男の背だけを見つめて歩いた。男は二人をテントから離れた、少し閑散とした場所へ案内した。
「救導者様」
男が振り返り、アサミを見る。当のアサミは自分のことだと気づき、間を空けてから返事を返した。
「これから契約を始めます」
男は一歩アサミに近づくと、ナギに目で訴えた。
どけ、ね。
ナギはアサミに微笑みかけると、二人から離れた。でも、なんとなく面白くない。
「心配ありません。すぐ終わりますから」
不安そうにナギの方を仰ぎ見ているアサミに言葉をかける。男はアサミの手を取ると、その場に膝をついた。
「少々血をいただきます」
「えっ?」
男がアサミの指先に爪を立てると、そこから針先ほどの血が膨れ上がった。
「私が言いましたら、額に貴方様の血をおつけください」
「う、うん。わかった」
アサミがたどたどしく答えると、男はまた微笑んた。
「我、ここに
集居
る」
男が静かに、重く声を出す。すると二人の足元から風が起こった。
「万物の理に従い、
闇光
によって導かん」
風が色を帯びて二人を包む。すると、アサミの手を持つ男の皮膚が変化してきた。その手は毛が濃く、長く伸び、爪が肉を欲するように鋭く輝く。胴は丸くなり、力強くうねる。腕や足の筋肉が音を立てるように発達していく。その喉から、獣の呻き声が漏れた。
ナギは男の変貌を目の当たりにしてその場から動けなくなっていた。男に身体の自由を奪われた時のように、いや、今はその男の目を見つめて衝撃に耐えている所だった。
あの目………
ナギの脳裏に、バスの中で見つめた影の目が浮かんだ。それと同時に、その時感じたのと同じ熱が再び湧き上がった。
あの緑の目の人………?
男の姿が狼に変体し終わった。
「さ、血を」
低い獣の声で促され、我に返ったアサミは恐る恐る男の狭くなった額に手を伸ばすが、怖くてその先まで進まない。表情が恐れで真っ青だ。
「アサミ!」
アサミが反射的にナギを振り返る。ナギはアサミにしっかり頷いてやった。アサミも頷き返して、そっと額に血をつけた。
何か起こるんじゃないかと身構えていたアサミは、逆に風が収まり、男の姿がもとに戻っていく
様
を見てほっと息を吐いた。
「私の名はハディル。私は貴方様をお守りするべくここにお居ります。この契約が続く限り私があらゆる災厄から貴方様を必ずお守り申し上げます」
「は、はぁ………」
そう言われても困ります、と言った感じでアサミは返事を返した。
「大丈夫だった?」
一段落終わったと見計らったナギはアサミに駆け寄った。
「うん。なんともない」
そう言って見た指先は、もう血が塞がっていた。
「では、これから貴方にしていただく詳しいお話をしましょう」
「待って」
歩き出したハディルが足を止めた。
「何か?」
「さっきの、何?」
ハディルがうん臭そうにナギを見た。
「だから契約のー」
「そっちじゃない!災厄って、何?」
「前も言ったように、我々はこの国の王と争っているんだ。その国王にとって我々は邪魔なだけ。それを統治する者が現れたら、もっと邪魔であろう。命を狙われても仕方がない」
ハディルの言葉に二人の顔が引きつった。
「そ、そんな………」
「じゃ、もしその国王が私の命を狙ってきたら、国王を殺すの?」
「私は好き好んで殺しはしません。時と場合によります」
「………はぁ」
アサミは重苦しいため息を吐くと、ハディルの顔を見上げた。
「私、アサミ。で、こっちがナギ」
「ちょっと、アサミ!」
ナギはしっかり自分の分まで紹介するアサミの腕を引っ張った。
「どうしてそんなことするの!?」
アサミはナギに悲しみを含んだ目で微笑んだ。
「もうどうしようもないよ。もとの世界には帰れない、殺さなきゃ、殺される。一人じゃ立っていられない所に来ちゃったから。だから………」
「この世界に、あの男に従って生きるの?」
「生きるためには、ね」
アサミはハディルに笑みを投げかけた。
「これから、よろしくお願いします。ほら、ナギも」
促されたナギは、しぶしぶハディルに頭を下げた。
「………よろしく」
「いいのです。もとは私が勝手にこちらへ救導者様を………」
「救導者は止めて」
アサミが即座に、有無なく否定したのでハディルの目が点になった。
「アサミでいい」
「………承知しました。アサミ殿。ではこちらへ」
殿、は要らないんだけどなぁ、と呟きながら二人はハディルについて行った。
最初にいたテントを横切り、さらに奥へ案内された。三人が歩く後から、物陰に隠れ、好奇心に満ちた人々の視線が突き刺さる。なるべく気にしないように歩き続けると、ハディルがこの辺りで一番大きなテントへ入って行ったので、二人もそれに習ってハディルに続いた。
二人が中に入ると一瞬で空気が変わった。動きがさっと固まり、一同が二人を見上げる。中は男ばかりで、紙やゴミが雑然としていた。その場にいた人々が三人に向かって胸に手を当てて、頭を下げて敬礼した。ハディルが返したので、二人も真似する。
「私に近い方からー」
ハディルがさっとテントを見回し、手身近かにいた体格の良い人を手で示した。
「今まで指揮を執ってきたシデルグ。
軍艦長サルディ。
文事官ラミーア。
経理官ケック。
それから、一番奥にいるのが今後の世話をしてくれるシーハ」
一番隅っこにいた青年が元気よく二人に頭を下げた。ナギは、おじさんばっかりだなぁ、と思っていた所で自分と同じ世代の人を見つけて目が止まった。そしてその人に吸い込まれるようにそのまま見入ってしまった。
「どうした?」
隣にいたアサミが、ナギの気配を察して顔を覗き込んできたが、ナギはあいまいにそれをかわした。
ナギはシーハに目を行かせないようにするが、ふとした瞬間にまた戻ってしまう。その姿が自分のいた世界、日本にいた時、よく見つめていた人物と重なっていたからだった。
啓太
君………?
ナギが密かに想いを寄せていた人物だ。しかし、このことはアサミに言ってないし、まだ自分の気持ちを相手に伝えてない。向こうが自分のことをどう思っているのかさえ知らない。でもその姿を見ているだけで幸せな気分になれた。
その人と、こんな所でまた会えるとは思ってもみなかった。服装や外見こそは違うが、雰囲気が似ている。相手もナギの視線に気づいてこちらに首を傾げた。ナギは慌ててハディル達の方を向きなおった。
「………みんな男の人なの?」
アサミが少し残念そうに聞いていた。
「ここにいるのは、ほとんどが男、それに力や身分の低い者です。他の者は家族や、思いなど関係なく捕らえられています。あるいは、戦士として戦わなければならなく………」
全員の首がうなだれ、沈黙が漂った。
「それでは、アサミ殿の仕事についてお話申し上げます。まずはー」
空気を一掃するかのように小難しい話が始まった。ハディルの話をかいつまむと、王は民衆に対してひどいことをしてきたらしい。どんな小さな罪も許さず、罪に対しては厳しい罰を。当然王の命令には誰も逆らえないことに味を覚えた王は、本来のあるべき姿を見失い、独裁政治、わがままな生活。あげくの果てには余興と言い、人殺しを観戦するようにまでなってしまった。とうとう王に我慢できなくなった民衆が立ち上がったのだが、王の方が一手上手く、女子供や位の高い者を手の中に納めて他の者の戦意を喪失させようと手を回していたのだ。しかしそれでもめげずに生き残って反旗を翻したのが、アサミが主導者となったこの克復軍と言う集まりだそうだ。
アサミの隣で聞いていたナギは、話の内容が実質的なものに変わり、アサミが直接関わってくると、そっと離れた。ただ遠くで聞くのもいいのだが手持ち
無沙汰
もあり、思い切ってシーハの方に近づいた。シーハも隅で控えているだけで話に加わろうとしていなかった。
「こ、こんにちは」
シーハがナギに顔を上げた。ナギの声が緊張で声が上澄みそうになる。シーハはナギに微笑みかけた。
「こんにちは。………どうかした?」
とりあえず話しかけてみたものの、言葉が見つからない。
「シーハ君、でよかったっけ?」
とりあえず言葉を紡いでみたものの、顔が火照ってくる。シーハは頷くと、ナギの為に座る場所を開けてくれた。ナギは礼を言いつつそこに座ると、改めてシーハの顔を見つめてしまう。
「覚えてくれたんだ。ね、あなたも救導者なの?」
隔たりなく接してくれるシーハの気持ちが嬉しいが、興味津々の目で覗き込まれ、ナギはなぜか気を悪くした。
「………ううん。違うみたい」
「そうなんだ。でも、違う州の人でしょう?」
「しゅう?」
「あれ?知らないの?」
シーハの顔が驚きで丸くなったが、何かを思い出したように手を叩いた。
「そっか。こっちのことは何も知らないんだよね。わからないことは全部聞いてよ。答えてあげるから。あ、でも答えられなかったらゴメン、な」
ニカ、と笑った顔も似てる。思わず声に出して呟いてしまい、ナギは顔が真っ赤になった。
「似てる?誰に?」
「い、いいの!別にどうでもいい人なんだから………」
「えー。気になるなー。ね、その人、どんな人?こんな人?」
自分を指さすシーハに、ナギはただ一心に頷いた。
「へー。僕に似てるなんて、不幸だねー」
「なんで?」
「だって、カッコよすぎ、だろ?」
また自分を指さして自慢気に言い切る。そんなシーハと接しているうちに自然と緊張が解けた。ナギもつられて一緒に笑っていた。
その人が好きなの、って気持ちは隠しておこう。
「ね、君の住んでいた場所ってどんな所だった?」
「えっ、そうだなぁ………」
ナギは大体のことをシーハに教えてあげた。改めて自分の周りのことを話すとなると、上手く言えないものだった。
「ここの人達って、みんなハディルみたいに獣になるの?」
シーハがハディルに目をやった。その瞳は淋しげだがどこかに秘められた炎が上がっているようだった。
「違うよ。僕はあの力は持ってないんだ。それにあの人は人じゃ、ない」
「え?」
そりゃ私達から見ればみんな人であって人でないようなものだけど………
シーハの言い方にはどこか引っかかるものがあった。
「あの人は天から降りてきた破壊者。破壊をし、再生する。僕は破壊者って思ってるけど、他の人は天使、とか、あとは………神とも言う人もいる。このことはあんまり他の人に言わない方がいいよ」
「う、うん。気をつける」
シーハはハディルのことが嫌いなのだろうか?どこか棘がある言い方だった。
「それより、外に出ない?ここにいてもつまらないよ。それにこれからいろいろと案内しないといけないからさ」
会議はますます白熱し、アサミの目が回っている。できることなら口を挟んで助けてあげたいが、今の自分にはただ眺めているだけしかできなかった。
「うん。行こう」
ナギはシーハの後についてテントを出たが、そこに広がる光景にビックリして立ち止まった。来た時と同じように、たくさんの人がテントの辺りを囲むように様子を窺っていたのだ。ナギが突っ立っているとシーハが声をかけてくれた。
「大丈夫。みんな珍しいだけさ」
そう言うと周りの者に声をかけて、人々が散り散りになっていった。
「………すごいね、シーハは」
「え?」
ナギは感嘆でまだその場から動けないでいる。
「だって、今、すぐ人を動かしたじゃない」
「そ、そう?」
照れながらシーハがナギを手招きした。
この軍のアジトは敵から守るように柵で囲まれた中に、大小さまざまな大きさのテントが肩を寄せ合っていた。その中を案内されたが、本当に女子どもがいなかった。全員男性だ。そのせいか、どこか全体的に汗臭いイメージがあったが、わりとそうでもなかった。
「そういえばまだ名前聞いてなかったね」
手近な所に腰を降ろして、シーハがナギに聞いた。
「あ、そっか。私はナギ。もう一人はアサミ」
「変わった名前だね」
「そっちこそ」
お互いの顔を見合わせて、二人で吹き出した。
「あ、そろそろ中に入らないと」
「なんで?」
まだ日は高く昇っている。天気が崩れそうでもないし、会議が終わったわけでもないだろう。
「
驟雨
が来るんだよ」
「しゅうう?」
「そう。ほら、来た」
シーハが山の方を指さした。
その山の鋭い山頂から、霧がかった
靄
がすその方へ伸びていく。いつの間にか鳥などの小動物も身を潜め、ナギのもとにも小雨が振ってきた。大雨になるかと思っていたナギは雨足が一向にその気配を見せないのでシーハを振り返った。
「これが驟雨なの?」
「そう。毎日、この時間になると降るんだ。驟雨は大地を湿らせて生を育む。この土地が豊かなのは驟雨のお陰なんだ」
「ふぅん」
これが日本だったらいつもじとじとして忌み嫌われるだろう。でも、確かにそうだった。ここは過ごしやすい。気温も気持ちがいいのに加え、適度な湿り気がある。
いつの間にかナギは肩を濡らし、雨に反射する光のカーテンに見入っていた。
「そろそろ虹が出てくるよ」
シーハがある一角を指さす。すると、そこから大きな半円の光の帯が現れた。普通の虹より色が多い。もっと色の間隔が狭く、淡い。
「すごい………」
ナギはそっとシーハの傍に寄っていた。
「なぁ、明日にでも俺達の国を見に行かないか?」
先に髪を拭き終えたシーハが、まだ拭いているナギに聞いた。
「そんなに早く、ってわけじゃないけどこっちのことよく知らないんだろ?」
確かに。できることなら見てみたい。それに、まだここの事もよくわからないからいい機会だ。
「私はいいけど、アサミが………」
救導者となり、今も何かの話が続いているだろう。そんな不安を察してか、シーハがいたって明るく答えた。
「救導者の仕事だって、今すぐやらなきゃいけないことじゃないんだ。予見者はすぐに導くとは言ってなかったし、それに俺達を救う人が、俺達の国のことを知らないのは良くないと思うからさ」
うん、とナギも頷いていた。シーハの言っていることはもっともだ。
「聞いてみるよ。シーハの国って、ここから遠いの?」
辺りは見える限り山に囲まれていて、国のような栄えた建物の姿は見られない。
「ここは国と王の館から中間地点に基地みたいな形で作ったんだ。でも、二日もあればゆっくり帰ってこれるよ」
「二日もかかるの?」
「え?たった二日だと思うけど?」
首を傾げられ、ナギも首を傾げたくなった。
「車で行っても?」
ナギの当たり前のような物言いにさらにシーハの首が傾げた。
「くるま?何それ?新種の乗り物?」
「え………?」
シーハは本当に解かってないようで、今度はナギがさらに首を傾げる番だった。そっか。ここは私の知っている世界とは違うんだった。だから車がないのかな?
「えっと、ここでは何に乗って移動するの?」
「馬だよ。こっち」
シーハに案内されるままついて行くと、確かに馬の鳴き声が聞こえた。何十頭という馬が木の囲いの中で食事の真っ最中だ。その姿はもとの世界にいる馬と変わらない。どこか馬に親近感が持てた。
「馬に乗るの?」
柵に肘をかけて馬の様子を見ていたシーハは、首を振った。
「馬を二頭あれに繋ぐんだ」
シーハが指差した先に、昔の馬車に取り付けるような物が無造作に置いてあった。
「あれで移動するんだ。ね、くるま、ってどんな形してるの?」
興味津々の目で見つめられたナギは言葉に詰まった。どう説明すればいいのだろう。電気すらない世界なのに。
「えっとね。だからーーー」
四苦八苦しながらナギはシーハに車の説明に取り掛かった。
アサミが二人に用意されたテントに戻ってきたのは、ずいぶん経ってからだった。
「あ、お帰り」
一度に長い話をさせられたせいだろう、アサミはもう頭使いたくない!と
喚
いていた。
「あんな所にいたらおかしくなっちゃうよ!訳のわからない単語ばっかり。もういやぁ!」
ばふっと蒲団に身を投げた。アサミの重みを受けてゆっくり空気を吐きながら沈んでいく。ナギは、これはチャンスとうつ伏せになっているナギの隣に肘をついた。
「ね、じゃ、気分転換に国に行ってみない?」
ナギの思惑通りアサミがハッと反応した。
「国?どこの?」
「シーハが言ってたんだけどね、明日でもいつでもいいから自分の国を見せたいって。馬車で行くから二日くらいかかるらしいけど、行ってみる価値あると思うんだ」
「ばしゃぁ!?」
古い単語にアサミは目を丸くした。
「そんなの使ってるの?」
嘘でしょう?と聞いてくるが、それが否定できない自分が
虚
しかった。
「車すらないんだって。きっとこっちは発展が遅いんだよ」
えー、とまだ信じられない様子でいたが、しばらく黙ると突然起き上がった。
「行こうよ。せっかく来たんだし見て行こう。えっと………誰が言ってたって?」
「シーハ」
ナギは自分で言ってなぜか気が引けた。シーハのことを思うだけで顔が熱くなってしまう。
「シーハくんー!いるー?」
アサミが大声でシーハの名前を呼んだら、シーハはすぐに現れた。
「なんでしょう?」
シーハは胸に手を当てると、アサミに頭を下げた。
「ちょっと」
入り口にいたシーハを手招きしてテントの中へ招き入れる。アサミは外に誰も居ないことを確認すると入り口を塞いだ。
「ね、国に連れてってくれるのって本当?」
「はい」
シーハは突然の質問にしばし言葉を失っていたが、この場にナギがいたのを見て頷いた。シーハの答えに満足したアサミはさらに詳しい話に持ち込んだ。
「行くならいつ?」
「いつでも。救導者様のご都合の良い時なら」
「アサミでいいよ」
みんなに救導者、救導者と言われて、嫌気が差していたアサミは強調して言った。
「………では」
「アサミ殿」
突然違う声がして、三人が同時に声のした方を振り返った。ハディルが、閉めたはずの入り口の布を開いて立っていた。
「失礼します。突然お声をかけてしまって申し訳ありません」
ハディルは目を見開いたままのアサミに頭を下げる。
いや、私にも謝ってよ。
「しかしそれには賛成できません。………シーハ」
ビクッ、とシーハの肩が跳ね上がった。ハディルが現れた時からシーハは身を縮めていた。
「己の身分をわきまえよ。もしものことがあったらどうするのだ。取り返しのつかないことになるぞ」
「申し訳ありません」
地面に手をついて頭を下げて謝るシーハの姿を見て、ナギは罪の意識を感じた。自分がアサミに言わなければ、シーハがこんなことをしなくとも済んだはずだ。ナギはハディルとシーハの間に割り込んだ。
「違う!私が悪いの!だからシーハがこんなことしなくていいの!」
シーハに頭を上げてもらおうとするが、ピクリとも動かない。
「俺が悪いんだ。誘ったのは俺だから」
「でも………」
そんな二人のやり取りを見ていたアサミがハディルの前に立ち上がった。
「私、行きたい」
ハディルに困った顔をされてもアサミは引かなかった。
「国の様子がどんなものなのか自分の目で見たい」
良
いと言うまで
梃
でも動きません。と言った感じでアサミはハディルの目を直視する。しばらくしてハディルのため息が返ってきた。
「わかりました。手配しましょう」
去りかけたハディルをアサミが慌てて呼び止めた。
「三人でいいからね」
「三人、とは?」
「私と、ナギ。それからシーハ」
一、二、三とその場にいるハディル以外を指さす。自分が呼ばれなかったことに腹を立てたのかわからないが、ハディルは首を振った。
「せめて私も入れてください。それでは何のために契約したのかわかりません」
そっか、とアサミが手を打った。
「四人だけで行きたい」
四本指を立ててハディルに見せる。もう何を言っても無駄とわかったハディルは短く答えるとテントから出て行った。
「………ありがとうございます」
肘を突いて額を地面に押し付ける形でシーハがアサミに頭を下げた。そんなことをされたくないアサミは慌ててシーハに駆け寄った。
「そ、そんなことしなくていいよ。たいしたことは何も………」
いえ、と短く答えると、シーハはさらに頭を下げようとする。
「もう頭を上げて」
アサミが無理にでも起こそうとするので、シーハはようやく顔を上げた。
「シーハにとってハディルって、そんなに怖いの?」
じっとハディルが出て行った入り口を見ていたナギはそのままシーハに訊ねた。
「ええ。救導者が現れるまであの方がいろいろ指揮をとっていましたし、なによりああいう方は権力があるのです」
「ああいう?」
「獣になれる者のことです」
さっと言ってしまうとシーハは立ち上がった。
「今日は迷惑をおかけしました。しかも国へ一緒に連れて行ってくださるとは夢にも思っていませんでした」
「そう?」
最初からそのつもりだったアサミはそう言われることを不思議に思って首を傾げた。
「では俺はここで失礼します。お休みなさいませ」
シーハはアサミに頭を下げ、背を向けた。
「おやすみ」
振り返ってナギにも言うと、ハディルと同じ所から外へ出て行った。
「おやすみ、か」
横のアサミにも聞こえないように小さな声で呟くと、ナギは頬が赤くなるのを感じた。