支中の旅人

****

始章 1章 2章 3章 4章 5章 終章 戻る
























 「アサミ、ちょっと出かけてくるね」
「え?もう暗いよ?」
 ナギがテントの出入り口に立ってアサミを振り返っている。アサミは蒲団にうつ伏せになっていた。
「うん………すぐに戻ってくるから心配しないで」
 夜のせいなのか、ナギは少し暗めに答えた。
「わかった。あんまり遅いと先に寝てるからね」
「うん」
 ようやく笑顔を見せるとナギはアサミに背を向けて行ってしまった。残されたアサミは寝返りを打つと、蒲団をかぶった。本当に寝てしまおうかな、と思いながら目を瞑った。しかし眠るどころか、心を静かにすると無意識に身体が熱くなってきて眠れない。そしてハディルのことをいろいろ考えてしまう。
「あ〜!もう!」
 アサミは跳ね起きると膝を立ててその間に顔をうずめた。
 どうしてこんなに熱いの?
 頭を冷やすべくアサミはテントの外に出た。ふわっ、と夜風が吹いて、火照った頬に気持ちよかった。そのまま大きく深呼吸すると、空を見上げた。昨日と違って二つの満月が顔を覗かせている。そのせいで意外と明るかった。こうやって空を見上げたのも、昨日ナギと話をしたからだった。
 それを思い出して、アサミはまた熱が上がってくるのを感じた。昨日はまたナギの前で泣いてしまった。それも全て洗いざらい話してしまった。
 もう!
 ナギと一緒だとつい甘えてしまう。アサミはまた上がった熱を冷ますべく、あてもなく歩き出した。
 ふと誰かの話し声が聞こえて足を止めた。声は二つあって、淡々と何か話していた。いつものアサミだったら人の話を盗み聞きなんてしないが、今日に限って誰が何の話しているのかすごく興味が湧いてた。アサミは自然と足音を忍ぶと、話している二人の元へ向かった。
「…………だ……殿………」
 会話は途切れ途切れにしか聞こえないが、明るい月の下で誰が話しているのかはわかった。
 ハディルとナギだった。
 一瞬ナギに対して有りもしない不安がよ過ぎったが、そんな雰囲気ではなかった。空気がピリピリする真剣な話をしている。
「じゃ、じゃぁもしあの時アサミの隣が私じゃなかったら、私じゃなくて、違う人になってたって言うの?」
 急にナギが声を荒げたので、アサミは心臓が飛び出るかと思った。しかも話の内容が自分も絡んでいることにさらに驚いた。
 あの時、私の隣じゃなかったら?
 すぐにはナギが何のことを言ってるのかわからなかったが、昨日ナギが言っていた言葉を思い出して合致した。
 ナギは自分がこの世界に来た理由を探していた。それをハディルに聞けばわかるとアサミはナギに言ったのだ。でもそれだけでは話が全部見えてこない。
 違う人?
 何が違う人なのだろう。
 答えるはずのハディルはさっきから黙ったままで何も言わない。やっと口を開いたと思ったら、小さい声でアサミの耳まで届かなかった。
 何?何て言ったの?
 さらに近づきたかったが、これ以上近づいたら見つかってしまいそうな気がして、なんとか踏み止まった。
 ハディルもナギも動かない。そしてアサミも動かない。空気も動いてないように思えた。
「………っ…………」
 やっとナギが口を開いたが、肩が震えていた。
 泣いて、る?
 遠くからでもナギの様子がわかった。俯いたまま涙を必死に我慢しているようだった。そして何かが起きた。
 ハディルがアサミに契約した時のように、ナギの足元から風が起こった。その風はあの時に比べて毒々しい。遠くから見てもその恐ろしさが伝わってきた。血のような赤いそれは、まるで刃を (きらめ) かせているかのように、見ている者に鳥肌を立たせる。しかも変化はそれだけではない。風がナギの全身を覆うと今度はナギの様子が変わった。髪の毛が色を変えながら伸び、爪が鋭く闇光に照らされる。なんと言っても背中から生えた翼を見たときには全身の血の気が引いた。
 ナギ………?
 アサミは目の前にいるのが本当にナギだという自信がなくなってきた。今までどんなことも一緒だったナギが、アサミの知らないナギになっている。むしろナギに騙された気がしてならない。
 ナギの変化が終えると、風を起こしたままその場に膝を突いた。ハディルがナギに寄ろうとするが、ナギを纏う風が刃となって襲う。近づいた者を容赦なく切り裂こうと手を伸ばしてくる。
「気を確かにしろ!そんなことではアサミ殿はどうなるのだ!」
 ハディルがナギに向かって声を荒げた。アサミはハディルの口から自分の名前が出て少し動揺してしまったが、相手がナギだったから自分の名前が出てもわかる気がした。ナギがアサミのことをどれだけ大切にしてくれているかはわかっているつもりだ。だからナギの気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。でもナギの様子は少しも良くならなかった。
「お前には私の術を破るくらいの意思があるだろう。それはどうした!」
 ハディルはあれこれ言ってナギを何とか落ち着かせようとするが、ナギは聞く耳を持たない。とうとう折れたハディルは軽くため息をつくと、しっかりとナギを見据えた。そして自ら風の方へと足を運ぶ。
 ダメ!危ない!
 アサミはハディルに駆け寄ろうとしたが、足が地面に張り付いて動けなかった。ハディルのことより変貌したナギが恐ろしかった。あんなナギを認められなかった。冗談抜きで、ナギにとって食われそうな気がしてならなかった。
 しかしハディルは 躊躇 (ためら) わず進んで行く。ハディルが手を伸ばすと、その腕にナギの赤い風が襲ってきた。ピッ、と瞬間に血が走る。痛いはずなのにその傷を抑えようともせずハディルはさらに進んで行く。無数の触手がハディルを襲い、ようやくナギの髪の毛に手が触れた。そこでやっとハディルがいたことに気づいたナギは顔を上げた。ハディルはナギと目線が合うように膝を突くと、一言なにか言う。そしてゆっくりハディルの顔がナギに近づいていく。
 アサミはその先を見ると、耐え切れず口を手で覆った。そうでもしないと声が漏れてしまいそうだった。それでも、もう涙は耐え切れずアサミの手の上を無情に流れていく。
 そんな………な、ん………で?
 アサミは 後退 (あとずさ) りながら首を振った。
 いや。ウソよこんなの。絶対………
 それでも目の前の現実は変わらなかった。アサミは耐え切れず走り出した。



 ナギはアサミに出かける、と言ってテントを出る前から心を決めていた。無断でハディルに会いに行くのはアサミに対して気が引けたが、これはナギの問題であってアサミの問題ではないのだ。ナギはハディルの元を訪れた。
「ちょっと、いい?」
 くつろいでいたハディルがナギの姿を捉えた。
「どうした?何かあったのか?」
「んー。そう言うわけじゃないけど………」
 訪ねる理由を考えてくるべきだった。何も考えずただ知りたい一心で来たナギは、恥ずかしくなって俯いた。
「アサミ殿はどうした?」
 話口が見つからなかったナギは、ハディルに顔を上げた。
「もう寝てるよ。………ね、外、でない?」
 ハディルはナギのいつもと違う雰囲気を感じて立ち上がった。
「どこへ?」
「どこでもいい………やっぱ人気のない所」
 ハディルは頷くと先に外へ歩いていった。ナギはその後を黙ってついて行った。
 どうやって話を持ち出したらいいのだろう。直球で聞くのもいいが、なぜか気が引けた。
 ハディルは人気のない所へナギを連れると立ち止まった。
「で、話とは?」
 振り返ったハディルはナギに聞くが、当のナギは言葉を濁らした。
「どうした?」
 ナギはう〜ん、としか答えられなかった。ナギが言葉を選んでいると、ハディルに鼻で笑われた。
「な、なによ!」
 人が真剣に考えている所なのに!
 ナギは軽くハディルを睨みつる。ハディルは腹を押さえると、笑いを堪えて言った。
「ナギは考え込む柄じゃないだろう?」
 もっともなことを言われ、ナギはしばらく黙ると口を開いた。
「前から思ってたんだけど、………私がこの世界に来た理由ってないの?」
 とうとう言ってしまった。
 ナギは一つ呼吸を置いた。それからハディルを見た。ハディルは表情一つ変えずにいた。
「そんなことを知ってどうするのだ?私には理解できないのだが」
「別にハディルに理解してもらいたくて聞いてるんじゃないの。私が理解できているからいいの。ハディルなら知ってるんでしょう?私がここいる理由」
 ハディルは少し考え込むと、首を傾げた。
「私にはそれは答えられない気がする」
「はぁ!?」
 ナギはハディルの答えに大きな声で間抜けな返事をしてしまった。
 何言ってるのよ。あんたしか答えられる人はいないのよ!
 ナギは言葉を失ってしまった。まさかハディルに答えを逃げられるとは夢にも思っていなかった。
「じゃぁ別の聞き方にする。なぜ私をアサミと一緒に連れてきたの?」
 ナギは気を取り直して再度聞く。これならハディルは答えられるはずだ。なぜならハディルがナギを連れてきた張本人なのだから。
 やや間があってハディルが口を開いた。
「誰でも良かった。アサミ殿の話し相手となる人なら誰でも良かったんだ」
 ハディルの答えにナギの全身に旋律が走った。顔が引き () る。血の気が引いた。足元から冷たい触手が絡んでくる。
 ナギはなんとか心を持ち直してハディルにさらに迫った。
「じゃ、じゃぁもしあの時アサミの隣が私じゃなかったら、私じゃなくて、違う人になってたって言うの!?」
 居ても立ってもいられずにナギは声を荒げた。そうでもしないと心が挫かれてしまそうだ。ナギは誰かに呼ばれてこの世界に来たのだと、そう言われたかった。そう信じていたのだ。それを認めてほしかった。しかしハディルは答えないで沈黙を保った。
「ああ」
 長い沈黙の後に一言、そう頷かれた。
 そんな………そんなの………
 自分の中で何かが急速に熱を奪われた。保っていた支えが音をたてて崩れる。それに同調してナギの身体が変化を示した。
 足元から赤い風がナギの包む。その温かくも (あやかし) な風は居心地が良かった。そして獣聖の姿に変わっていく。
 あいつの言っていることはウソだ。
 お前は必要とされている存在なのだ。
 早くおいで。お前を否定する者全てから守ってあげるから。
 そんな居心地の良い言葉しか聞こえない。ナギはその温かさに素直に身を預けた。
 干したての蒲団の中ようで動きたくない。頭を働かすだけで苦痛だ。
 何もかも捨ててもいい。アサミのことも、何もかも全て。
 ずっとこのままで居たかったのに、誰かが無断で入り込んできた。
 何………ハディル?
 うんざりしてハディルを見上げた。ハディルはナギに近づくと、耳元で何か囁いた。
「力を分けるぞ。このままだと………」
 その後の言葉は聞く気にもなれなかった。もうハディルの言葉なんてどうでもよかった。なのにハディルはナギの傍を離れようとしなかった。
 もう、早く消えてよ………
 ふとハディルに顔を向けた瞬間、いきなり顎を捕らわれた。そしてそのままハディルの顔が近づいてきた。
 間近にハディルの目が飛び込む。そしてナギの唇がハディルで塞がれた。
  (ファースト) キスをハディルに奪われた。
 でもそれに対する動揺より、今までの心地よかった温かさが消えた。そして、力とは別に何かが流れ込んできた。それはさっきまでナギを包んでいた温かさとは違う何かだった。
 ハディルはそれを感させまいと、すぐ離れた。
「………もう大丈夫か?」
 ハディルはなんとも思ってないようで、ナギは冷静にそう聞かれた。気がつくともう獣聖の姿から元の姿に戻っていた。
「私………」
 ハディルの顔を見上げて何か言おうとするが、ハディルにやんわりと止められた。
「何も言うな。もう帰ったほうがいい」
 ハディルに促されて立つと、そのままテントへ連れられた。テントに帰るとアサミはもう寝ているようだった。静かに蒲団が上下している。
 ナギはフラフラと自分の蒲団へ向かうと、倒れこむように身を投げた。
「おやすみ」
 ハディルが声をかけてくれたが、答える気が沸いてこなかった。ナギはそのまま重たい瞼を閉じると、深い眠りについた。
 朝になって目が覚めると、もうアサミはどこかに出かけた後だった。寝坊したのか、と思いながらナギは蒲団の中で身をよじった。
 ふとした瞬間に昨日のことが蘇る。
 じゃぁ、意味のない私はどうしたらいいの?
 滲み出た涙が頬を伝った。
 ここに連れてこられた理由があると思っていた。自分は誰かに必要とされていると思っていた。でも、そうじゃないと言われた。
 無性に帰りたくなった。帰れないもとの世界に帰りたい。でも、それはどうやってもできないのだ。いくらハディルに頼んでも帰れないものは帰れないのだから、と言われてそれまでになってしまう。他の方法だってないだろう。
 一人で帰っても仕方なかった。帰っても誰も必要としてくれない。帰らなくても誰も必要としてくれない。いったいどうしろと言うのだろう。
 それ以上考えても答えが見つからないので、ナギは大きくため息をついた。気持ちを落ち着かせると、外でハディルの大きな声が聞こえた。
「どうして勝手にそのようなことを!」
「別にいいでしょう!私の決めたことなんだから!」
 アサミもいつも出さない怒鳴り声でハディルに食ってかかった。
「みんなに伝えて。王の首を取りに行く」
「しかし………」
「私は救導者なんでしょう!?ハディル、あなたがそう言ったのよ。それに王からの返事は思ったと通り私達の提案に応じなかった。もう首を取りに行くしかないでしょう!」
「でも………」
 アサミの気配がテントのすぐ側に感じた。
「もう決めたの!」
 アサミはそう言い放つと勢いよくテントに入り込んだ。ナギは身を起こすと、興奮冷めやらぬアサミに話しかけた。
「どうしたの?」
「別に」
 突き放すように言われナギはう、と咽を詰まらせた。どうやら怒りの矛先がハディルからナギに変わってしまったらしい。ナギはこれ以上怒られないように、口をつぐんだ。
 それからもアサミは事あるごとにハディルに突っかかっていた。しかしその態度は急なことでハディルは全く身に覚えがなく、アサミの機嫌に手を焼いていた。
「ナギには何か心当たりはないのか?」
 真剣な眼差しでハディルに相談された。最近のことでめっきり気が滅入っているようだった。
「それが私もわかんないんだよねぇ」
 ナギは首を傾げる。どんなに考えても答えが出てこない。まるで自分のことのようだった。またそれが嫌ですぐに目を反らした。
「王を討ちに行くのっていつ?」
「明朝だと」
「へ?明日!?」
 まさかそんなに早くないだろうと踏んでいたナギは心底驚いた。どうしてそんなに忙なければならないのだろう。
「ほかの人達はそれに賛成なの?」
 ハディルは渋い顔を作った。
「いいや。そんなに急には無理だと皆が口を揃えている。だがアサミ殿は、救導者が言うのだから、と」
 ナギは思わず声に出してため息をついてしまった。アサミはそんなことを言って人を困らせるようなことは絶対しないはずだ。なのに、なぜ………?
「一言言ってはくれないか?」
 ハディルに頼まれたが、その言葉は違和感を漂わせた。
「なんで?ハディルが言えば一発なのに………」
 アサミはハディルに 下手 (べた) 惚れなんだから私が言わなくても………
 しかしハディルが散々言ってもダメだったのだから、あとはナギが言うしかないのだろう。
「………わかった。言ってみる」
 ハディルがダメだったのに果たしてできるのだろうか。
 ナギは不安を抱えつつアサミの姿を探した。
 道でアサミの姿を見つけてナギは駆け寄った。アサミはナギに気がついて振り返ったが、立ち止まろうとはしなかった。
「アサミ!」
 遠くから呼びかけても反応がない。聞こえないフリを決め込むつもりだろうが、そうはさせない。
「アサミ、ちょっと待って!話を聞いて!」
 ナギはアサミに聞いてもらおうと必死になって後を追う。ずかずか歩いていたアサミはようやく立ち止まった。
「何?」
 凄みのある迫力で聞かれ、う、と言葉を詰まらせたが、こちらもずい、と顔を近づけた。
「ど、どうして王を討つって決めちゃったの?いくらなんだって早すぎ………」
「ナギには関係ないでしょう!」
 アサミはそれだけ言い放つとナギを置いてまたずかずかと歩き出してしまった。ナギは呆然とアサミの背中を見つめるしかできなかった。
 そしてどこか悲しげに目を細めた。
 いつの間にか二人の思いがすれ違ってしまった。
 こんなはずではなかったのに。怒っている理由を聞こうとしてもアサミに逃げられてしまう。
 ナギも途方にくれてため息を漏らした。
 アサミは今日に出発を望んでいたが、準備が間に合わず出発は見送られた。それでも準備が出来次第出発する、とアサミが言ったので、大急ぎで準備が進められている。
「そうか、ダメだったか」
 ハディルがナギの話を聞いて肩を落とした。それでも何度かハディルはアサミと話をしようと試みていたが、やはり結果は同じだった。
「他の者と話すときは普通なのだが、王のことと、私達のことの話となると人が変わったみたいになられて………」
「はぁ………」
 解決策が見つからず、ナギもハディルと一緒に途方にくれてしまった。こんなことでは良くないとはわかっているのに………
「なんで怒ってるのか聞いてみた?」
「ええ。でも聞き入れようとしてくれませんでした………」
「そっか………」
 また二人の間に沈黙が流れてしまう。どうしたらいいのだろう。
「この際、無理やりにでも口を開かせる?」
「いや、それでは………」
 ハディルは渋い顔を作ったが、ナギは心を決めたように顔を上げた。
「行ってくる」
「ま、待って………」
 ナギはハディルの制止を振り切ってアサミのもとへ向かった。
 アサミはすぐに見つかった。兵士と何かの打ち合わせをしている最中だった。ナギはアサミに気づかれないように近づくと、さっと手を取った。咄嗟のことに驚いたアサミが逃れようとするが、ナギは真っ直ぐアサミを見つめて手を離さない。アサミは驚いて声が出ない様子だった。
「アサミ、今日は逃げないで」
 ナギがアサミの隣にいた兵士に目で合図を送る。それに気づいた兵士が二人のもとから放れていった。
「何?」
 凄みのある声で言われたが、ナギは怯むことなくアサミに向かっていった。
「アサミ最近変だよ?」
「そうでもないよ」
 プイ、と顔を背けられた。ナギはそんなアサミを無理やり自分の方に向かせた。
「どうしてそう逃げるの!?何で!?」
 アサミはナギを睨みつけると、また鼻を鳴らした。
「ナギ言ったよね?応援するって。だから私、頑張ってたんだよ!?それなのに、それなのに………」
 急なアサミの言葉に、ナギは何の事を言っているのかわからなかった。アサミは拳を作るとそれを握り締めた。
「ナギ、ハディルのこと好きじゃないって、言ったよね?なのに、なんでキスなんてするの!?」
「な、なんの………?」
 ナギはアサミの言わんとしている事がなんとなくわかってしまった。きっとあの時の事をアサミに見られてしまったのだ。ナギが獣聖だったことより、ハディルの行為に心を奪われたのだ。
「ナギもハディルのこと好きだったじゃない!嘘つき。裏切り者!私、私………」
 真実を言いたかった。でも泣き崩れるアサミの肩が震え、ナギの顔は蒼白になって何も言えなかった。
「帰ったら?」
「……え?」
 ボソリ、と言葉が聞こえた。アサミの肩が震えている。
「帰ればいいじゃない!もとの世界に帰って、そこで意味でもなんでも見つければいいじゃない!」
 言い放ったその言葉にナギの中で糸が切れた。顔がみるみる赤くなる。
 なんでそんなこと言うのよ!
「帰れないからここにいるんじゃない!第一、あんたのせいで私まで巻き添え食らってるのよ!?そのことも考えてよね!」
「な、何よ!」
 同じくナギの言葉が頭に来たアサミが切り返してきた。
「じゃぁ私の傍なんかにいるからいけないんじゃない!いつもそうだから誰にも理由がもらえないんじゃないの!?」
「アサミに何がわかるのよ!」
「ナギだって、私の何がわかっているのよ!」
「知らないわよ!アサミは私じゃないもの!それにね、帰れるものならとっくに帰ってやってるわよ!」
「だったらハディルにでも誰にでも頼んで帰りなさいよ!」
「この分からず屋!」
「ナギこそ!」
 ふん、と顔を背け合うとナギはアサミのもとから離れていった。
「出発の用意が整いました」
「ありがとう。じゃ、行きましょう」
 あれから少し経って兵士がアサミに報告に来た。その頃にはもうアサミの気持ちはすでに落ち着いていた。
 話すことは全て話したんだから………
「あの………」
 報告に来た兵士が申し訳なさそうに口を開いた。
「何?」
「もう一人の方にはお伝えしないでよろしいのですか?」
「いいの」
 頬を膨らませて顔をプイッと背けた。
 顔も見たくない。
「ですが、あの方は救導者様が館で捕らわれた際、兵士に救導者様のことを言っていました」
「………なんて?」
 確かナギはテントで寝ていたはずだ。だからどうせくだらない事だと思いながらも、アサミは先を促した。
「誰も救導者様を信じないで助けてもらう事ばかり考えている、自分達の願望ばかり押しつけて救導者様の願いは聞き入れていない。我々兵士の本当の仕事は救導者様を信じ、守ることだと、兵士に言っていました」
 話を聞いて、アサミはふっと顔を綻ばせた。
 変わらないなぁナギは。
 そして頭をクシャ、とか掻くと、兵士に背を向けた。離れるアサミに兵士は呼び止めた。
「本当にお伝えしなくて………」
「いい。ナギには安全な所にいてもらうから」
「はっ」
 頭を下げた兵士をアサミは呼び止めた。
「それと最後の会議するから、ハディル達呼んできてくれる?」
「はっ」
 兵士はもう一度頭を下げると走り出した。
 アサミは空を仰いだ。透き通った青に白い雲が帯を引いている。
 ごめんね、ナギ。本当はもうナギのこと許してたし、ハディルのことは諦めていたんだ。この世界に一緒に来てくれて、ありがとう。ハディルより、ナギが傍にいてくれてよかった。
 アサミは目に浮かんだ水玉を拭うと、会議の始まる場所へ向かった。
 会議が始まり、アサミは一通り今度の作戦の説明を受けると、その場に立ち上がった。
「みなさんには出来るだけ敵を撹乱して欲しい。無暗に殺さず、敵を進ませないように」
「難しいな」
 アサミの言葉に軍艦長が微かに頬を持ち上げた。
「難しいからこそ、あなたに頼んでいるのです」
 救導者であるアサミに信頼しきっている眼差しを向けられ、軍艦長は頭を掻いた。
「まぁ、救導者様のお言葉ですし、やりますけど………救導者様は?」
 アサミは軍艦長にニッコリと笑って返した。
「できるだけ戦いが早く終わるように」
 最後に胸に手を当てると、軽くお辞儀をして会議の場から離れて行った。その腰には使い慣れない太刀が一本、白い鞘に厳重そうに収められていた。
 アサミ率いる一行は、ローセイス湖を通り、いつの日か見たアサヒルの国を目前にしていた。
「王は?」
 アサミは近くいた兵士に聞く。その目線はさっきから王の本拠地、城を睨んでいる。
「先ほどから変わった様子はありません」
「わかった」
 アサミはようやく目を反らすと、近くにいたハディルに声をかける。
「みんなを集めて。行くよ」
「はっ」
 ハディルが頭を下げて下がって行く。アサミは振り返り、また王のいる城を睨みつけた。
 絶対許さない。ナギを悲しませる、こんなことすぐ終わらせる。
 ハディルに呼ばれ、アサミは城に背を向けた。

















 私がいけなかったのかな?アサミがハディルのこと好きだって知ってたのに、それなのにハディルに聞いたのがいけなかったのかな?
 ナギは一人テントの天井を見上げていた。アサミ達が出発したのは知っていた。大きくはないが、よく聞こえる音で準備や、出発して行ったのだから。でも、ナギはアサミと一緒に行かなかった。行く理由が見つからなかった。そして現実から逃げるように瞼を閉じた。眠くはなかったが、こうすれば少しは気持ちが落ち着く気がしたからだ。でも一向に落ち着く気配がない。
 昔はこんなんじゃなかったのに………
 アサミの近所に越してきたナギは、あいさつ回りの際、母の背越しにアサミと出会った。内気だったナギに対して明るかったアサミは、アサミの方からナギに話しかけてきた。そのアサミの雰囲気に親しみを覚えたナギはそれがきっかけでアサミと一緒にいるようになった。アサミもナギをよく連れ回して一緒に遊んでくれた。
 ある日、アサミが泣きながらナギの家に来た時があった。理由は言わなかったが、今となっては父親と母親のことだったのかもしれない。あまりにも激しく泣くので、ナギはほとほと困ってしまった。
「泣かないで、アサミちゃん。お願いだから………」
 うん、と何度も頷いてくれるが、滝のように流れる涙は一向に止める気配を見せなかった。ナギはどうすることもできず、咄嗟に涙が流れるアサミの頬を挟んだ。唇が突き出す形になったアサミは、少し泣き止んだ。
「な、に?」
「えっと………」
 特に理由はなかったが、何か言わないとこっちまで泣きそうになって、必死に言葉を探した。
「あのね、泣いちゃダメ。泣きたい時はいつでも私の所に来ていいからね。アサミちゃんが泣かないように祈ってあげるから」
「誰に?」
「えっと………神様に!」
 ナギは外を指差した。その先に太陽が煌いていた。アサミも濡れながらその光を一緒に見上げた。
「じゃ、もし、ケンカしてもナギはずーっと一緒にいてくれるの?お母さんがダメって言っても?チキュウが滅んでも?」
「うん!約束」
 そう言って小指をアサミに突き出すと、アサミもナギの小指に自分の小指を絡めた。
「約束!」
 そうアサミが嬉しそうに笑顔で言った。




次章