No.10 「届かぬ手 そして―」
「へえー。ここがフーアビなんだ」
ユエが物珍しそうに辺りを見回しながら言う。
辺りが草原に包まれた中に、石で作られた城壁に囲まれた、建物が一つ青い晴天を貫かんばかりにそびえ立っている。
「あれは昔の処刑場だったんだ」
フェクスンが石でできた建物を指差しながら説明し始める。
「ま、今は闘技場になってるけど」
一行はその闘技場に向かった。
「ハリ姉、この闘技場に出場できるらしいよ?」
ユエが闘技場に入ったときに、ハリスに聞いた。ハリスはユエを見ると、首を振った。
「わたくしはサリの大会に出たかったんですの。この闘技場に出たかったんじゃありませんの」
「ふぅん。じゃ、カリリンとソッサンが出たら?」
「断る」
「めんどい」
カリオスとソーサが同時に断った。ユエは面白くなくて頬を膨らますと、今度はワイスに突っかかりに行った。
「フェクスン」
エルがコポと共に歩いているフェクスンを呼んだ。フェクスンが立ち止まり、振り返った。それに合わすようにコポも止まった。
「情報って、どこに行けばいいのかな?」
フェクスンはコポを抱き上げた。
「どんな情報が欲しいの?」
エルはヒスリアを見た。ヒスリアもエルの顔を見て、お互い頷いた。
「人を探しているの」
フェクスンはヒスリアの言葉を聞くとすたすたと歩き始めた。
「こっちだよ」
すぐ横で対戦が行われているせいで、すぐ熱気がエルに届いてきた。観客席を覗いてみて、人がびっしりと埋め尽くされている様を見て、サリの大会の思い出でが鮮明に蘇ってきた。カリオスと一対一で戦ったあの日。今思うと楽しい思い出のように思える。
エルがふっと意識を戻した時、肌を逆撫でするような嫌な冷たい風を感じた。はっと辺りを見渡すが、隣は壁、隣は熱気に満ち溢れてる人がいるだけ。吹き込んでくる風は生暖かく、寒々とはしていなかった。
エルは首を傾げ、気のせいにしてフェクスンの後を追いかけた。
「現在、そのような人は伺っておりません」
カウンターの向こうにいる女の人が、丁重に答えた。エルはそれを聞くと、小さくため息をついた。
「本当に?」
フェクスンが念を押すように聞く。しかし答えは同じだった。フェクスンはそれを聞くと、エルを振り返る。
「どうする?」
「え?」
「だから、ここにも情報がないってことは、ただならぬことだよ?ここにリストがないってことは、大変なことなの。凡人にしろ、獄人にしろ、絶対にあるはずなんだよ。本当にその知りたい人は、この世にいるの?」
フェクスンの問いに、二人とも息を詰まらせた。自分たちですら正確にはわかっていないのだ。もしかしたら……
「いるよ。もちろん」
ヒスリアが笑顔でフェクスンに言う。フェクスンは唇を尖らせた。
「ま、いいけど。じゃ、用は済んだから、自由行動でいい?」
いい、と言いながらも情報が出てこない事にまだ不満を感じているらしく、未練がましく女の人の近くにある名前のリストから目が離れない。
「いいよ」
エルが答えると、フェクスンは姿を消した。それに続くようにソーサもどこかに姿を消した。
「僕達もどうしようか。みんな一緒に行く?」
エルはみんなの顔を見回すと、みんなが頷いた。
「ユエ、行きたいところがあるんだけど!」
ユエが元気よく生徒のように手をあげた。
「どこですの?」
ハリスの質問に、ユエが笑顔で答えた。
「処刑場!」
「……趣味悪…」
「なんか言った?」
イストロイドを構えるユエに、ワイスは慌てて首を横に振った。
「うわ!血がまだこびりついてる!」
ワイスが床に転々とある血痕を指差して言う。
「本当だ」
エルも見て呟くようにいった。
「ねえ、ねえ!」
横からユエの声がした。見ると、ユエが飾りに置いてあった首吊り輪に自分の首をかけていた。
「どう?」
「どう?って……」
ヒスリアがユエに近づいた。
「そんなことしたら危ないよ」
ヒスリアが縄に手をかけようと手を伸ばしたとき、身体が浮いた。反射的に足元を見ると、あるはずの地面が底の暗闇に吸い込まれてなくなっていた。
「キャーーー!」
支えの足元がなくなったユエに、カリオスが咄嗟に首の縄を切って縄もろとも下に落ちていった。
いくらも落ちないうちに暗い地面に叩きつけられた。
「
エルが痛む体を起こしながら、辺りを見回した。全員身体を打ったものの、身体を起こして大丈夫そうだった。
「いた〜い!」
ユエが起き上がりながらロープを投げ捨てる。
「一体、何が起こったんですの?」
ハリスも服についた泥を払いながら辺りの様子を伺う。頭上から外の明るい光が差し込む以外、光はなく、近くに階段があり、そこからもといた所に戻れそうだった。ちょっとした地下空間のようだ
「何これ。おい、みんな、扉があるぜ」
ワイスが自分の足元を指差す。重そうな扉が硬く閉ざされていた。興味を持ったユエとハリスが扉に近づき、一緒に覗き込む。
「でも」
エルは扉に目をやり、辺りを見回す。
「ここって何の部屋なんでしょう?」
「もう一つの死刑所だったりして」
ワイスが顔をにやけさせながら答えた。
「間違ってはいないな」
奥のほうから別の声がして、全員が声のした方を振り返った。俄かにカリオスの手が柄に伸びた。暗い闇からぬっと人でない姿が現れた。それはいつかの敵だった。
「ジェリノ……」
ヒスリアが現れた敵を見据えながら呟いた。
「ほう。覚えていたか」
「今さら何の用だ!」
突然現れたジェリノに対し、エルは剣を構い、ヒスリアを瀬に隠して睨んだ。ジェリノは首だけエルに向けた。
「お前には用はない」
ジェリノはそれだけ言うと、ヒスリアを見た。
「偉大なるあの人が、あなたを呼んだのだ」
「………」
「私と一緒にあの人のところまでついて来てもらう」
ジェリノがヒスリアに近づこうと、一歩動いた。それに合わせるかのように、仲間がヒスリアの前に次々と立ち塞がった。
「お前の好きにはさせない!」
「ヒスリアには指一本触れさせないんだから!」
「わたくし、もうあなたとは金輪際会いたくありませんわ!」
「覚悟しろ」
「ジェリノ……お前になんかヒスリアを渡すものかっ!」
エルは言葉を強く吐き出すと飛び出す。それと同時に切りかかった。ジェリノはさっと避けたが、腕から血が一筋流れた。
「私は小娘に用があるのだ。他はいらん!」
ジェリノが指先から光線のようなものを飛ばす。全員かわしたが、その光線を浴びた岩が爆音と共に砕け散った。
ワイスはそれを見て冷やかしに口笛を吹くと、すぐに術を唱える。ハリスもそんなワイスを見て、軽くため息をつくと、呪文を言い始めた。
ヒスリアもジェリノに対し、攻撃態勢に移る。エルはカリオスと息を合わせてジェリノに切りかかった。前までは反撃もできなかったエル達が、今となってはジェリノが反撃できない様子だった。
「そこまでして私の邪魔をするというのか!」
ジェリノが一歩下がって、ワイスが見つけた扉の上に浮かぶ。ジェリノが身体をそらすと、それに連動して漆黒の扉が音もなく静かに開いた。そのまま地下に逃げ込むのかと思ったら、ジェリノは扉を開けたままにして、また攻撃してきた。
『何のために?』
エルは開け放たれた扉を盗み見る。何かが出てくる様子はなく、またジェリノが何かする様子もない。
「あの扉が気になるか?」
ジェリノが笑みを浮かべてエルに聞く。ジェリノはエルが答える前に続けた。
「あれは永界への扉さ」
「えいかい?」
ワイスの攻撃を自分の技で相殺し、ジェリノがふん、と鼻で笑った。
「何故こんなところに部屋があると思う?答えはあれだ。永界に行った者は二度と戻れない。まぁ、魔界のようなものだ」
ブンと音がして、ジェリノが腕を横になぎ払った。風の刃が一直線にエルに向かった。エルはそれを受け止めるが、力に押されて膝を突きながら後ろに下がらされた。
「うざい人間どもにはとっておきの楽園さ!」
ジェリノが手の内に光の玉を作ると、光が矢となって四方八方へ飛び散った。その光を受けた天井が剥がれ落ち、壁が崩れた。その隙にジェリノは彼方上空へと舞い上がった。
「待て!」
ユエがイストロイドでジェリノを追う。ジェリノはそれに気づくと手を伸ばす。その向かう先はイストロイドでなく、それを操る糸だった。糸をつかまれたユエは力の向かうまま引き上げられ、ジェリノはユエを永界の扉のほうへ放り投げた。ジェリノはハリスの放った術を逃れると、それ以上深追いせずに姿を消した。
カリオスの足が無意識にユエを追う。
あの子を死なせてはいけない。そんな気に駆られた。
恐怖に青ざめ、自分の力ではどうすることもできないユエは、暗闇へ落ちてゆくままだ。
引き裂くほど伸ばしたカリオスの手がやっと宙の中でユエに届く。 そのまま飛び出した反動でユエを扉の外へ押しやる。
カリオスの目に、
暗闇が飛び込んできた。
派手な音を立ててユエが砂埃を上げて壁に身体を打ちつけた。ややあってイストロイドが空から地面に戻ってくる。舞い上がった埃がまだ立ち上る中から、ボロボロのユエが足を引きずりながら現れた。
「カリオス!」
ユエが叫びながらカリオスに走り寄る。呼ばれたカリオスは鼻で笑った。
「どうした?」
涙を浮かべて自分を覗き込むユエにいつものように少し意地の悪い笑いを浮かべる。ユエはそんなカリオスに手を伸ばした。その手の平から血が流れているのを見て、カリオスは首を振った。
扉の向こうには底なしの闇があると思ったカリオスだが、実は冷たい泥のようなもので満たされていた。胸の辺りまである泥は粘着質が強く、指一本動かせない。しかも除々に身体が泥に飲み込まれている。
「カリオス!」
仲間がカリオスに駆け寄って引き出そうとするが、手が届かず、しかもどんどん泥に飲み込まれて手が出せないでいる。
「無駄だ。諦めろ」
「そんなぁ……」
ユエが首を振って抵抗する。しかし無情にも流れ落ちる涙はカリオスと一緒に泥に飲み込まれていくだけだった。
「みんな!ここが崩れ落ちますわよ!」
ハリスの大声が聞こえ、やっと辺りが崩れ始めていることに気がついた。しかし誰もが崩れる落ちる瓦礫とカリオスを交互に見るだけで、ただ何もできない。
カリオスはまた鼻で笑うと、泣き崩れるユエを見つめた。
「この出会いが運命なら、またどこかで会えるさ」
「……本当?」
消えそうなか細い声がした。カリオスはまた微笑んだ。
「ああ」
「ユエ!行くぞ!もういつまでもつかわからない!」
ワイスがユエの腕を取った。ユエはカリオスを見つめ返し、吹っ切るように勢いよく背を向けて駆け出した。ハリスはカリオスに静かに頭を下げるとユエの後を追いかけた。
「また、な」
ワイスがカリオスを見つめる。カリオスはまたいつものすまし顔に戻ると、早く行けと、その背に呟いた。
「ヒスリア、僕達も行こう」
「でも……!」
ヒスリアも目に涙をためて、先ほどから諦めずにカリオスに手を伸ばしていた。うつ伏せになって必死に腕を伸ばす。
「まだわかんないよ……カリオス!がんばって!」
必死になるヒスリアにカリオスは静かに首を振った。
崩れる天井の瓦礫と音が時間のないことを三人に思い知らせる。
「時間の無駄だ。早く行け」
「そんなっ……」
落ちてきた瓦礫がエルとヒスリアの退路を塞ぎ始める。
「ヒスリア!」
エルはヒスリアを無理その場から引き剥がす。自分の思いを断ち切るかのようにヒスリアの身体を抱きかかえた。
「いやっ!エル。放して!カリオスさん!カリオ――ス!!」
ヒスリアの叫び声が騒音と混じって遠くなっいった。そして二人がいた所に瓦礫が落ちて地面を窪ませた。
カリオスは全員が出て行くのを見送ると、ホッとため息をついた。しかしカリオスの体はもう首から下が飲み込まれている。
「さて。これからどうするか。自分の記憶を探すはずだったのにな……」
カリオスは鼻で自嘲すると目を瞑る。もう闇はすぐの所まで来ている。
「いままでありがとう………また会おう……」
崩れ落ちていく中、その音に混じって何かが閉ざされていく音が冷たく辺りの空気に飲み込まれていった。
「今までどこほっつき歩いていたんだよ?」
何も知らないフェクスンが仲間に怒鳴った。
悲しみに飲み込まれそうになりながらも無事に処刑場から逃れたエルたちは、外に出てきて心臓をつかまれたような思いに足を止めた。背中に流れた汗が冷たく感じる。さっきまで顔を突き合わせていたジェリノが、あのジェリノがいた。逃げ帰っていたものとばかり思っていたが、ヒスリアが一緒に来ないならもう用済みなのだろうか、この場所ごとさっきのように瓦礫と化すことにしたようだ。無差別に破壊を繰り返している。
突然の襲撃者に対抗すべく、本来なら闘技場でその腕を試すものがジェリノに立ち向かっていた。その者の中にまじってソーサはすでに戦っていた。
。
「……カリオスは?」
只ならぬ雰囲気と、一人かけているメンバーに気づいてフェクスンが聞いた。ソーサもエルたちに気づいて駆け寄ってきた。
「カリオスは……永界に行った………」
フェクスンとソーサはその言葉を聞いて、終始沈黙の後ジェリノを見上げた。
「そっか……アイツ、絞めてやろう。許せない」
フェクスンは目を落とし、再び顔を上げてジェリノを睨む。
「ああ」
エルは剣を取ると、ジェリノに殺気を放つ。
「そうしよう」
エルが駆け出す。そのあとからハリス、ワイス、ヒスリア、ユエがジェリノに向かって行く。憎しみと、悲しみを帯びた目で敵を睨む。
『カリオスの仇、必ず晴らす!』
「ハーハッハハ!雑魚な虫が寄って集って来たな!だがな!」
ジェリノの手に今までにない力をこもった風の球を作りだした。
「もう用はない!死ねぇぇぇぇえ!」
ジェリノはその球を上に高く上げると、その玉が割れ、鉛のような暑い雲から竜巻が天空を裂いて現れた。
「うわっ」
「きゃあ」
あちこちで悲鳴が上がる。立っていられない風が人や物、手当たりしだいに何でも飲み込みながら襲いかかってくる。
「ヒスリア!」
エルは咄嗟に手近な物を掴み、近くにいたヒスリアに手を延ばした。ヒスリアは向かい風に押されながらエルにゆっくりと手を伸ばす。しかし踏み出した足は風に逆らいきれず地面に着かない。エルも掴んでいる物から手が引き剥がされそうでまともに掴んでいられない。
『せめて………』
離れないように、とエルは掴んでいた手を離し、ヒスリアの手に伸ばす。ヒスリアも風に負けじと手を伸ばす。
指先が、互いに触れ合った。
もう大丈夫、この手を失わないですむ―――
離れない。絶対に―――
エルは安心してさらに手を伸ばす。が、急にヒスリアの身体が自分から遠ざかった。
「エル………!」
「ヒスリア!」
ヒスリアの影がどんどん遠ざかる。切なそうな表情が、金色の髪が、ピンクのワンピースが………俺の………
エルはヒスリアに差し伸ばした腕をそのままに、その手には感じるはずの温もりではなく、烈風がその身を切り裂いていく。エルは覚めていく心が、身体の動きを封じていくのを感じた。
守るって、言ったのに―――