No.17
「生まれ変わったら…」
「間違って…いたのか?」
敵が虚空を見詰めながら呟いた。
「我は…過ちを犯してしまった…許されるのか?」
敵はどこか、ふんわりとした温かさを覚えたのか、表情が柔らかくなる。
「お前は…いつもそうやって笑ってくれるのだな……」
ヒスリアの父の体が光の泡となって弾けた。
エルは剣を突き立てると、うつむいた。
エルによって解放された数多の魂が、空に召されていった。
「きれい……」
ユエがポツリと呟いた。
今まで取り込まれていた魂が、いっきに解放され、光となって上空を覆い尽くしていた。いままでうずくまっていたソーサが、急に立ち上がった。
「ジャクール…ティタ……」
ソーサが見上げながら、呟いた。その先に、誰かいるようだった。男の子と女の人がソーサを見ていた。男の子がソーサの左腕に触ると、五星魔の紋様が消えていった。
ソーサは見開いた目を弟と恋人に向けた。二人は嬉しそうに笑うと、他の者達と一緒に空に消えていった。
カリオスも誰かと会っているようだった。精霊だろうか、羽の生えた女の人と、眼鏡をかけた男の人と会っていた。カリオスが短く鼻で笑うと、二人も空に上がっていった。
光がほとんど消えると、エルがガクッと膝をついた。そして下を向いたままうめき始めた。急に涙が溢れてきた。もうすべて受け入れたはずなのに……。
ハリスはそんなエルに近づいた。
「…これ」
エルが顔を上げ、ハリスが差し出したものを見た。エルはそれを受け取ると、胸に押し当てた。
「僕は…僕は一緒にいようって、そういう意味で渡したのに……!」
エルはさらにうずくまると、声を上げて泣き出した。
「あと…」
ハリスが沈痛な面持ちで切り出した。
「みんなに、ありがとうって……笑っちゃうよね」
ハリスも自分の腕を抱くと、涙を流した。
「お礼を言わなきゃならないのは、こっちですのに……」
泣き出したハリスを、そっとワイスがなぐさめた。
「……終わったの?」
ユエが地面に呟く。
「本当にこれで終わり?」
カリオスがユエを見た。
「ああ。……世界は救われた」
「ヒスリアは?」
ユエの問いかけに、カリオスは無言で答えた。
エルは涙をこらえながら立ち上がった。
「もう、行きましょう」
エルの言葉に、誰も動こうとしなかった。
「ここにいても、何も始まらないし、何もできない。帰りましょう」
深い沈黙流れた。
「そう、するか」
ソーサが歩き出す。それに続くようにみんな後ろ髪を引かれるように歩き出した。エルは立ち止まり、ヒスリアが出て来た扉の後を振り返った。
『もう…ヒスリアはいなくなったんだ。もう、二度と会うことはない……』
「エル、行ってこい」
カリオスが背中を押した。こらえていた涙がその衝撃で宙にこぼれた。
「でも……」
どうしてこの人はこんな言葉をかけてくれるのだろうか。誰もが言いたくても言えない言葉を。悲しみしか滲んでこないその言葉を。
「後悔するほど辛くなるぞ。待っててやるから、気の済むまで行ってこい」
カリオスはまた背中を押した。ぎゅっと握った拳を広める。涙を振り払って足を動かす。壊れた扉の上を歩きながら、エルは立ち止まらずに中に入っていった。
『どうして…こんなことにしてるんだろう』
エルはぼんやりする頭を働かせた。
『どうしてあの人を討ったんだろう……ヒスリアがいなくなるとわかって、こんな気持ちになるのもわかっていたのに、どうして…』
エルは初めて立ち止まった。
『信じていた。ヒスリアのこと、これからの無事なことを、信じていた』
「僕は…知らないうちにヒスリアを犠牲にしていたのかな?世界の為に……」
エルの声はむなしく辺りに吸い込まれていく。
「もう…こんなとになるなら……ヒスリアを。好きになるんじゃなかった……」
エルは自分の気持ちに苛立ちを感じた。
『今までだったら、傷つくことがわかっていることには、絶対首を突っ込まなかった。なのに、どうしてヒスリアのことは…できなかったんだろう。傷ついても、一緒にいたかった。ただ、一緒に隣を歩いていたかった。一緒に……生きていたかった―…』
エルは頭を左右に振る。そんなことを考えてはいけない。
「もう、ヒスリアはいないんだ」
エルは自分に言い聞かせた。
「もう……」
エルは踵を返し、背を向けた。
『さよなら……』
「…ル……エル…」
エルが踏み出した時、あるはずのない声に呼ばれた気がして振り返った。今まで気が付かなかったが、エルの先に、黄色い丸い容器のようなものがあり、その中に何かいた。
エルは走り出すと、その容器の表面に手をついた。
「ヒスリア!」
ヒスリアも、中から同じ所に手を付いた。
「よかった……無事で」
ヒスリアが泣きそうな顔でエルを見詰めた。エルはそんなヒスリアの顔を見詰めた。ヒスリアは黄色い容器の中に浮かんでいた。漂っているといってもいい。さっきまでの姿のまま、ただ髪の毛が出会った頃のように長かった。その髪が左右に優雅に広がっている。エルにはそれがなぜか、ヒスリアがとても儚く、壊れやすい存在に感じた。だからこそ、この出会いを大切にしなければらない。
「無事なものか…今まで、死にそうなくらい、苦しかったんだぞ……」
「でも、今は?」
エルは溢れそうな涙を必死にこらえる。。
「苦しくない…」
ヒスリアはその言葉を聞くと、安心しきったようだった。
「どうして…そんな所にいるの?」
ヒスリアは視線を伏せるとそっと手を離した。
「私、心の色、なかったでしょ?だから、私はまだいられるの」
「…出れないのか?」
エルの言葉に、ヒスリアは顔を背けた。
「無理よ」
「なんで!?」
エルは詰め寄るようにヒスリアに聞いた。ヒスリアはさらに表情を暗くする。
「だって、その時こそ死んじゃうもの」
ヒスリアの言葉に、エルは表情を強張らせた。
「私はこの中でしか生きられなくなった。私には色がなかったから」
「でもっ!」
エルは拳で表面を叩いた。固い表面はそんな程度では傷一つつかなかった。
「それじゃ……」
ヒスリアは困った顔をすると、またエルに顔を近づける。
「エル、最後にお願いがあるの」
「な、に…?」
涙で潤んだエルの目がヒスリアを捉える。
「これから、すぐにここから離れて」
「どうして?」
「ここを壊すわ」
「! どうしてそんなことを!そしたら君は……っ!」
ヒスリアはエルを見つめる。ヒスリアの表情はとても穏やかだった。
「それでいいの。私は消えるべき存在。もとから存在していい人じゃなかったの。だから…」
「いやだ!」
エルがいやいやをするように首を振った。
「そんな子供みたいなこと言わないで…」
「そんなの、関係ない!」
エルは叫んぶ。ヒスリアを困らせたっていい。今は自分の気持ちに素直になりたいんだ。
「子供だって、いい!言っただろう?僕にはヒスリアが必要なんだよ!ヒスリアが、好きなんだよ!!」
エルの告白にヒスリアは目を反らした。
「…エル、行って」
エルはまたヒスリアを見詰めた。
「一緒に行こうよ」
「行って!」
エルの優しいな訴えに、ヒスリアは吐き捨てるように叫んだ。
「もう、疲れたの!一人にして……」
エルは無言でヒスリアの決意を聞き、しばらくじっと見つめる。ヒスリアも涙を浮かべた目でしっかりと見つめ返す。エルはふいに目を反らし、ヒスリアから離れた。
「今度、生まれ変わったら、また一緒に旅しよう」
エルの強張った微笑みに、ヒスリアも微笑み返した。
「うん…約束」
エルはヒスリアに背を向け、しっかりとした足取りで前に進んだ。
互いの目から、大粒の涙がこぼれた。
今まで一緒にいた旅の記憶が、静かに散っていった。
そしてエルの手には、何もなかった。