No.5
「溶けた氷の水 小さな朝陽」
空は暗雲がたれこめ、重苦しい空気が辺りを包み込んでいる。
今にも振り出しそうな機嫌の悪い空は、一行に早くフォドールに着くことを無言に急かしていた。
そんな中、四人はもう少しでフォドールに着くところだった。目の前には青い海が広がり、海風が時折風に運ばれて四人が海に来たことを実感させる。その風から身を守るように赤茶レンガの建物が目に付くようになってきた。
「わたくし達は、宿を探しに行きますわね。もうクタクタですわ」
ハリスが町に着いてまず発した声。ワイスがある単語を聞いて、ハリスにいやいや尋ねる。
「達……!?ってことは俺?」
「そうですわよ」
そも当たり前のようにハリスは言うと、嫌がるワイスの耳をつかんだ。
「さー!行きますわよ〜!」
張り切るハリスを尻目に、ワイスは涙目でヒスリアとエルに助けを求めた。
「エル〜、ヒスリア〜」
呼ばれた二人は白いハンカチを、決まり悪そうに目の前で振るしかなかった。二人の姿が物陰に消えたところで、エルはハンカチをしまった。
「ワイスは大丈夫だろう。僕達は親探しに行こうか」
「うん」
ヒスリアが手近の店の中へ入って行った。エルも後から続いた。そしてヒスリアが、どこかおもむき趣のあるその店の戸を開けた。店内は人形師の店らしく、大小さまざまな人形が所狭しに置いてあった。しかし、どこが不気味な感じもする。どれもこれも今にも動き出しようにリアルで、まるで生きているようだった。
「すいませ〜ん」
エルが店員を呼んぶ。店の奥の方から一人の少女が元気な返事と共に現れた。
「何をお求めですか?」
「いや…買うんじゃないんだ。その…つまり………」
エルは店員と話し始めた。ヒスリアはその間店の奥へと物色を始めた。エルは店員にヒスリアの親のことを聞いた。しかしこの少女は知らないし、たぶんこの町にはいないと言った。エルはそれが分かると横目でヒスリアの姿を探した。少女はその目線に気づき、一緒にヒスリアを見た。ヒスリアは一際大きな人形に触れていた。少女はそれを見ると、電光石火。一瞬の内にヒスリアのもとへ行ってしまった。そして、その勢いでヒスリアを突き飛ばした。
「イストロイドに何するの!!」
少女は叫ぶのと同時に、イストロイドと呼んだ人形を、大事そうに点検し始めた。無事を確認すると、ヒスリアを申し訳なさそうに丁寧に起こした。
「ごめんね。大事な人だから………」
少女が、その年齢には似合わないような表情でいたわるような眼差しを人形に向ける。
「私こそごめんね。勝手に触っちゃって」
「いいよ。壊さなかったから」
ヒスリアはもう一度人形をよく観察する。
「もしかして、ここにある人形全部あなたが作ったの?」
少女の驚いたようなあどけない眼差しが、ヒスリアに向けられた。
「う、うん。そうだよ。なんか気になるのでもあった?」
「そうじゃないけど………すごいなって思って」
「すごい?」
「うん。だって、こんなにいっぱいの物は好きじゃないと作れないし、余程の技術があるんでしょ?」
「うん!あのね…」
少女はヒスリアに褒められたのが余程嬉しかったのか、ヒスリアの質問すら入る隙間を与えないほどの速さで人形のことを一気にまくし立て始めた。忘れ去られたエルは、少女の話が終わるまで静かに隅のほうに座っていた。
「あら、ここにいましたの?」
だいぶ日が沈んで、そろそろエルの我慢が限界に達しそうなときに、ちょうどエルを見つけたハリスとワイスが店に入って来た。エルはすかさず二人のもとへ駆け寄った。
「エル。探したんだぞ。ここで何やってるんだ?」
まだ機嫌が悪かったのか、ワイスが店の中を眺めながら唇を尖らせて言う。
「ちょっと、な」
「……ごめんなさいね」
ハリスがいつもより落ち込んだ声でそっと呟いた。 「宿が見つかりませんでしたの」
「お前の探し方が悪いんだよ」
ワイスが間髪をいれず言い返す。その言葉にハリスは明らかにむっとした。
「あなた、何もしていませんでしたよ!」
「もとを言えば、お前が無理やりやらせたんだろ!」
「なによ!」
「ふん!」
「いい加減にしてくださいよ」
エルが二人の間に割って入った。その時、ヒスリアが三人のもとへ駆け寄ってきた。
「みんなあ、助けて〜」
ヒスリアが悲痛に似た声を出した。その後ろから少女がついて来た。
「まだ途中だよ!」
少女がヒスリアの手を引いた。その反対の手をとっさにハリスが引いた。
「わたくし達は仲間を連れに来ましたのよ!返してくださいませ!」
少女は疑わしい目つきでハリスを見て、しぶしぶヒスリアの手を放した。
「あなた達、旅人?」
「そうだよ」
エルの答えに、少女の顔が明るくなった。
「じゃ、強いんだよね?あのね、この先にある遺跡を知ってる?」
「ヒベル宮のことですの?」
「そうそう!」
思った通りの言葉が出てきて、少女の声が調子づいた。
「でも、どうして?」
エルが嬉しげな少女にすこし不安げに聞く。少女は自慢げに両手を腰にあてた。
「イストロイドに魂を宿すんだ!」
「魂!?」
全員がありえない言葉に声を上げた。
「そ。だから一緒に来て!」
少女がヒスリアの手を引いた。
「行こ!すぐに!」
少女が店の外へ出ようとしたので、すかさず今度はワイスが少女の前に立った。
「ちょっと待った。誰がいいって言った?」
「いいですわよ」
ハリスがなにやら意味ありげな眼差しで少女を見た。
「もう暗いですし。どこかで休みませんと。どこかいい所はないかしら………」
ハリスはもう一度少女を見た。少女はその目線の意味に気づいた。
「宿が見つからないなら、ユエの家に泊まればいいよ」
少女が「これで異論なし」といった満足そうな顔でもう一度ヒスリアの手を引っ張った。その後を三人が追いかけた。
「魔女」
ワイスが歩きながらハリスに聞こえるか聞こえないかの小さな声で言ったが、ハリスにはしっかり聞こえていた。ハリスは甘い声で、
「何のことでしょうか?」
と言い、一人笑っていた。
この少女の家、ユエ・ダヌジェは、家の都合でここの店に奉公していた。ユエの特技は人形作り。たくさんの人形の中でも、特にお気に入りなのが、巨大な人形、イストロイドだった。体のあちこちに糸がついていて、その糸でユエがイストロイドを動すようになっている。もちろんイストロイドで戦うこともできるし、飛ぶこともできる。ある意味、どんな武器よりも心強い。
朝になると五人(と一体。まあユエが怒るので、六人としよう。)は、準備を整えてヒベル宮へ向かった。ヒベル宮とは、何かの神が祭ってある、教会のような建物だと言う。
「あのさあ、ユエ。どうしてここに魂があるって知ってたの?」
一行が歩いている時、エルが聞く。
「ああ。それは旅人から聞いたの」
「それは確かな人ですの?」
ハリスが少々あえぎながら聞いた。ここに来るまで、ずっと山のような坂道だった。それを朝の弱いハリスはユエの明るい声に叩き起こされて、急かされるように長い道のりを歩かされているのだ。疲れて当然だった。
「ううん」
ワイスがケッと笑った。
「ガセネタじゃねーの?」
ワイスがさっとイストロイドを警戒する。しかしイストロイドは普通に歩いて(浮いて)いた。
「そんなことないもん!絶対に魂を見つけてみせる!ユエがそう思ったら、そうなの!!」
ユエの言葉には熱がこもっていた。
「わーったよ!」
ワイスはユエから目をそらした。どうやらユエはイストロイドのこととなると、全身全霊で取り組むらしかった。
一行は道中いくつかのモンスター怪物に遭いながらも、やっとヒベル宮に着いた。ヒベル宮は、白い壁が風化によって灰色に変わり、所々崩れかけている。しかしそれだからこそ、何かあってもおかしくなかった。それでも昔から持っていたような美しさが漂っていた。中は、半分壊れた屋根から温かい日光が降り注ぎ、その光が数わずかに残っているステンドグラスに反射して、地上に色鮮やかな模様を浮かび上がらせていた。
エルが最前列にあった、数少ない長イスに腰掛けた。
「休もう。疲れたよ」
エルは腰掛けると、その隣にヒスリアが腰掛けた。そして正面にあるステンドグラスを眺めた。
「………私?」
ヒスリアが小さく口の中で呟いた。
「どうした?」
エルはステンドグラスを見つめているヒスリアを見た。ヒスリアが目線を下げて、首を振った。
「なんでもない。ただ、この絵が…………」
気になる、と言う言葉はのどの奥で行き詰まった。エルもヒスリアと同じようにステンドグラスに見入る。
「…」
ステンドグラスは一人の少女らしき人が絵が描かれていた。長い金髪で、ピンクのワンピースを着ているようだった。
「………ヒスリアに、似てるかな?」
長い沈黙の後の言葉に、ヒスリアが頷いた。
「やっぱり?でもなんでここにあるのかな?ヒベル宮って、大昔に建てられた物でしょう?」
エルが腕組をして考え始めた。が、万策尽きて、ハリスに聞いてみた。
「その絵?わたくし、詳しくは知りませんわ。わたくしの生まれる前に造られた物みたいですし。でも、その女の人は、ネオスから生まれた人なんですって」
「ネオス?」
ヒスリアとエルが小首を傾げた。
「そうですわ。聞いた話ですと、ネオスとは、この世界にいる自然界の生命を少しずつ分け与えて生まれることですって。それから生まれた人間はごくまれで、特別な力と、特別な運命を授かると聞いていますわ」
「特別な運命?」
ヒスリアが繰り返し言った。ハリスは小さく首を振った。
「詳しくは知りませんわ。きっとあの人も何かいいことをしたのではありませんの?」
ヒスリアはもう一度絵を見る。その絵の辺りをワイスがうろうろしていた。そして何か見つけて立ち止まった。
「なぁ!ここに文字が彫ってあるぜ」
ワイスが全員に言うと、真っ先にユエが飛んで来た。
「ここにビシニジ嬢の記念碑を立てる。彼女は数々の難役から町を救ってくれた。その栄誉を与える」
ワイスが読み上げると、ハリスがビシニジと聞いて、目を見開いた。ユエは魂のことを書いてないと知ると、静かにイスに座った。
「ビシニジ嬢!?あのビシニジ嬢ですの!?」
奇声に似たハリスの声がした。
「うるさいなー」
ワイスがわざと耳をふさいで言うが、ハリスは完全に無視した。
「ビシニジって、どんな人なの?」
ヒスリアは興奮しているハリスに聞いた。
「ビシニジ嬢は、昔、数々の災難を、奇跡で解決してくれた人ですわ!でも、十八才という若さでこの世を去りましたの。亡くなったあとも、人々の心にはビシニジ嬢の姿が残り、今でも宗教としているところがありますわ」
「そんなに偉い人なんだ」
エルはまた絵を見た。ヒスリアも絵を見上げた。
『この人が……ヒスリアとよく似てるな。でも、もしヒスリアがビジニジ嬢の生まれ変わりだとしても、この年で死には………』
エルは自然とヒスリアの横顔を見つめた。
「ねぇ!もうそろそろ行こうよ!」
我慢の限界に達したのか、ユエが声を荒げて言った。この言葉で、エルは我に返るとユエを探した。一行はこの教会にあった隠し通路から地下へ進んだ。この道は下りの階段が延々と続いて、しかも地下水で足元が滑って、一向は何度も転びそうになった。やっと階段が終わると、岩肌が目立つ洞窟のような道に変わった。この地下は、何か青白い発光体があるらしく、辺りがいように青白かった。おかげで暗さに耐えなくすんだ。
「こっち!こっちになにかあるよ!」
先を進んでいたユエが、後の四人を呼んだ。ユエは、どうやら目的の物を見つけたようだった。たっと走ると、四人のさらに先を行く。ユエがいる所は、岩を削って作られた部屋のように整っていて、 いたるところに水晶のような形の、青白い光を放つ石があった。天井からは水が滴り落ち、中央には、ねじられてできた木の上位に淡く金色に光る握りこぶし大の玉が絡んでいた。
ユエは木に埋まっている玉を見ると、その場へ走り出した。そして木から玉を取ろうと必死になるが、玉はびくともしなかった。
「取れない〜」
ユエはなおもがんばった。それを見かねたワイスが呪文を唱えて邪魔な木を焼き払った。すると、カタッと音がして、玉が地面に転げ落ちた。それをユエが大事そうに拾い、嬉しそうに懐にしまった。
「これでイストロイドに魂が―」
ヒスリアが言いかけたとき、地面が荒れ狂ったかのように、激しくゆれた。地鳴りとともに、何かが地面から現れた。同時にものすごい突風が吹いた。何とか踏ん張った全員は、地面から現れたものを見た。それは真紅とも言える真っ赤な羽を持つ大鳥だった。青白いこの空間では、その鳥の存在はこの場を埋め尽くすかのようだった。全員は戦闘態勢に取りかかった。
「なにかあると思いましたけど、この部屋がこの鳥の巣だったなんて」
「やっぱ一筋縄では、いかないか」
ワイスがため息混じりに言った。そして紋章を始めた。ハリスも紋章を始めた。
「
ワイスの得意技、炎系の火の玉が鳥めがけていくつも刃となりて襲い掛かる。
「この地に集いし導きの魂よ、この者に激痛への導きをさずけん キメロ」
ハリスの技は、相手を縛りつけ、除々に締め付けていく技でワイスを援護する。
ワイスの攻撃、いくつもの炎の玉が鳥めがけて飛んでいった。ハリスの攻撃は、黒い輪っかのようなものが鳥を捕らえると、徐々に締めつけ始めた。エルも攻撃に加わった。
「月光突」
ヒスリアはユエを鳥からの攻撃から守っていた。やはりこの鳥は玉の守り鳥だった。どの攻撃も明らかにユエを狙っていた。
「図体がでかいだけで、何も出来ませんの?」
ハリスがユエに言った。ユエはヒスリアの後ろで小さくなっていた。
「だって、ユエ。モンスターと戦うの、初めてだもん」
おずおずとか弱く言うユエに、ハリスは深々とため息をついた。
「あなたの大事なイストロイドがどうなっても知りませんよ」
ハリスは鳥への攻撃を再開した。ユエがすっとヒスリアの前に立った。その目は以前の怯えた目でなく、怒りと闘志の炎がゆらめいていた。
「………るな…イストロ……るな………イストロイドを苛めるなーー!!!」
ユエがイストロイドの糸をクッと引いた。イストロイドは鳥の真上まで飛ぶと、背中の黒い翼をたたんだ。
「行くよ、イストロイド!
イストロイドが体を屈めると、そのままの体勢で鳥に突っ込んだ。イストロイドは返り血を浴びないほど早く垂直に鳥を貫通して、ユエのもとへ戻って来た。貫通して風通りのよくなった鳥は、もがき苦しみはするものの、倒れるけはいはまったくなかった。
「とどめだ!冷露山」
エルは夢中で剣を地面へ大きく振り下ろすと、辺りの水がエルの剣にまとい、氷のつらら、氷柱が地面から無数に生え鳥を串刺しにした。とうとう鳥は動かなくなると、力なく地面に倒れた。
エルは今しばらく自分に起きたことに呆然としていた。無意識の間に力が湧き上がって来た。それをそのまま叩きつけただけで………
気が付くと、ヒスリアが鳥に気を使いながらエルの隣へ来ていた。
「倒せたね」
ヒスリアにそう笑顔で言われると、自分の湧き上がった力は、自分にとって悪く無いものだと自然と信じられた。
疲れきったワイスとハリスがその場にしゃがみ込み、ワイスがみんなの軽い傷を癒している間に、ユエが二人の所へそっと近づき、顔を覗き込んだ。
「大丈夫ぶ?」
ハリスはユエを見上げるとやれやれと首を振った。
「早いところ、その玉をイストロイドに入れてしまいなさい。もうこんなのコリゴリですわ」
「俺もだ」
ワイスがため息混じりに呟く。そして自分とハリスに
「あ――――!」
その場にいた全員が叫び、その場に凍てついた。ユエは凍てつく、と言うより石化していた。
「取りごし苦労かよ・・・・・・・」
ワイスが苦笑してようやくその場に生気が戻ってきた。
「骨折り損のくたびれもうけですわ」
ハリスはため息をついた。ユエが重い腰を上げて、やっと口を開いた。
「あはは。ごめんね。ユエのせいで……」
その声には魂を感じられなかった。そんな放心状態のユエをそっとヒスリアが横から抱いた。
「ユエのせいじゃないよ。これが最後の望みじゃないんでしょう?」
ヒスリアは優しくユエに微笑んだ。ユエはヒスリアを瞳を潤ませてじっと見つめる。
「でも…でも………」
「何も言わなくていいよ。イストロイドの魂は、道中で見つけてきてあげるから」
ユエが涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、ヒスリアを見た。
「ほん……とう?」
ヒスリアは頷いた。するとユエは涙をぬぐって笑顔になった。
「でも、いいよ。イストロイドの魂は自分で見つける。もう誰にも迷惑かけたくないから」
ユエは勇ましく言っが、その言葉とは裏腹に、表情はこわばっていた。そんなユエを見かねたハリスが口を開いた。
「迷惑なら、もうかけられていますわ」
ユエの顔が歪んだ。
「こ、このことは謝る。でもこのままだと、あなたたちの旅の邪魔になるでしょう?」
「そんなことないよ。ユエ」
エルはユエに近づいた。ヒスリアがユエからはなれた。
「僕達はヒスリアの親を探しているんだ。でも、何の手がかりもない今、どこへ行ったらいいのかわからない。やみくもに探すより、人助けをしながら探した方が、気持ちがいいんじゃない?」
エルが仲間の顔を一人一人見回った。全員ユエを連れて行くのに、異存はなかった。
「本当にいいの?」
ユエがまだ疑わしい、と言った表情でエルを見た。
「しつこい人は嫌いですわよ」
ハリスがユエに近づきながら言った。そしてその頭を優しくなでてやる。
「もう帰ろう。疲れた」
ワイスが立ち上がりながら仲間に同意を求めた。ユエも立ち上がり、一行はフォドールへ戻った。ユエとイストロイドという、新たな仲間とともに。
人形店に着くと、店主が表に出ていた。ユエの家主でもあり、店主でもあるユエの義父はユエをゲンコツで一発殴ったあと、ユエに笑いかけた。殴られたユエは笑いながら店主に謝った。そんな店主を見たハリスが言った。
「いいひとですわね」
ユエが笑顔で答えた。
「うん!最高の人だよ!」
ユエはこの店主のことを話してくれた。ユエの実家はとても貧乏で、家を離れてこの店で働くことになった。ユエはここで稼いだ金をほとんど親に支払っている。店主はそんな献身的はユエを見て、親代わりをしてくれていた。
「そうだったんだ……ユエも大変だったんだね」
「そ、そう?」
『大変………だったのかな?』
ユエはちらっと店主のことを考えた。ユエがエル達と一緒に行ったら、店主とも別れることになる。
別れる。と思って、ユエは心がズキンと痛んだ。五歳か六歳の頃、親と別れた時のことがいまだに頭に焼きついている。それが再び蘇ってきた。あの悲しい出来事にユエは大きく首を振った。
『大丈夫。一生の別れじゃないんだから………』
ユエはもうこのことを思うのをやめた。
朝、ユエは店主に旅立つことを話した。怒られるだろうと身構えながらびくびく返事を待っていたユエは、店主は反対しなかったことに驚いた。店主はユエがイストロイドにかける情熱を知っていたから怒らなかった。むしろいなくなってしまう寂しさのほうが大きかった。
ユエは去り際に、店主から
「よし、サリ大陸へ行こうか」
エルが晴天の海に見かって太陽に負けないくらい明るく言う。その言葉に全員が頷いた。
「早く行こう!」
ユエが先陣を切って陽気に走り出した。その後を他のメンバーが追いかけた。一行は港に着くと、切符を買ってすぐ船に乗り込んだ。
海の潮風と陽気な太陽が、一行を優しく包み、鳥の鳴き声が耳をなでていた。その港の先で暖かく、そしてどこか寂しそうな顔で船を見送る店主の姿があった。
一行は遠ざかってゆくアウェア国を静かに見つめていた。
□
船長の話によると、サリ大陸を拝めるのは明日の明け方になると言う話なので、エルは船の中を探検して時間をつぶすことにした。もちろんワイスも一緒だったが、途中からどこかへ行ってしまった。一人になったエルは何もすることがなくなったので、部屋で時間をつぶすことにした。
夜、一行は甲板で開かれた簡素なパーティで夕食を取っていた。この船では夕食になると、甲板でパーティーのようなものを開いていた。
「あーうまかった」
ワイスが腹づつみをしながら軽く息を吐いた。そしてチラッと横目で人だかりの部分を見た。そこではユエとハリスが思い思いに、他の乗船した人と踊っていた。二人はそういう華やかなことが好きなのか、自然と息が合っていた。
「ワイスも行けば?」
エルは踊っている二人を見つめているワイスにふってみたが、ワイスは呼ばれて目線を反らした。
「いい。めんどくさいから」
「ふぅん」
エルもまたユエとハリスがいるところを見た。
「ワイスさん。踊れないんですか?」
ヒスリアの質問にワイスは深くため息をついた。
「あのなぁ。ヒスリア。そのワイスさんをやめろって言っただろ?」
「ごめんなさい。なんか呼びづらくて……だめですか?」
「………ま、いいや」
ワイスが何もない暗闇を遠い目で見つめる。
「踊れないわけじゃないさ。俺が女装している時に、いっぱい仕込まされたから。ただ、この格好だと乗り気じゃないんだよ」
「だったら、女装すれば?」
さらりと言ったエルの言葉にワイスは顔を真っ赤にして否定した。
「それが嫌なんだ!」
ワイスが手元にあった肉を、ブスッとフォークで刺して口へ運んだ。
とても優雅な時間が流れた。あのあとヒスリアもハリスとユエに教わりながら、ダンスに加わった。ぎこちない動きでも、本人はとても楽しそうだった。でもそんな楽しい時間が、船員の大声で引き裂かれた。
「敵襲!モンスターだ!!」
甲板が一瞬にして荒れ狂った海のように、人々が騒ぎ出した。
エルは剣を抜き取ると空を見上げながら構えた。上空には高くに、バイオリンを弾いている女の姿が見えた。しかし容姿は人とはかけ離れている。モンスターだった。
モンスターが美しい音色でバイオリンを引き始めた。その音が船に届くと、自分の意思に反して体が勝手に動き出した。辺りをよく見回すと、男だけが踊り始めていた。
「みんな、そんなに踊りたかったの?」
ユエが不思議そうに首を傾げて辺りを見回した。
「だれが頼まれてこんなことするか!」
ワイスが涙目で訴えかけた。
上空にいた女が船のへさきに舞い降りた。女は薄く笑うと、バイオリンを引く手を止めた。すると、男達がいっせいに踊るのをやめて、どたどたと甲板に倒れた。
「あら」
女がユエの隣にいるイストロイドを見て言った。
「面白い物がいる。わたしの弾くバイオリンを聞いた男たちは踊り狂うのに。わたしはその間に弱いものの魂をいただく。あぁ、完璧!なのに、男かと思ったら人形じゃないの」
ヒスリアとハリスが、後ろにいるユエからもの凄いオーラを感じた。二人が恐る恐る振り返ってみると、それはユエが怒りに満ちたオーラだった。
「イストロイドを人形って言うな――!」
イストロイドが女の目の前にすっと現れた。そして女を見事な速さでアッパーを繰り出すと海の彼方へ殴り飛ばした。その衝撃で女のバイオリンがこなごなに壊れた。ユエは女がこの場から消えたのを知ると、鼻で笑い、目がキラーンと光った。
その場にいた全員がユエを目が点になって見ていた。
我に返ったようにヒスリアがエルのもとへ駆け寄って来た。
「エル、大丈夫?」
エルは額に流れた汗をぬぐった。
「なんとかね。節々が痛いや」
エルは苦笑した。崩れるように座り込んでいるエルは横で倒れていた船長を見た。エルより年寄りの船長はそうとう堪えたらしく、立ち上がるけはいがなかった。しかし自分の立場を思ってか、ようやく船長は重い腰を上げた。
「みなさん、大丈夫でしょうか?」
船長は辺りを見回しながら二人にも聞いた。
「えぇ。それより、今のはなんだったんですか?」
「見ての通り、人型のモンスターですよ。ここのところ、人の魂を食らうモンスターが増え始めてね。」
「ここのところって、いつからですか?」
「だいたい、十八年前ですかね?おっと、失礼するよ」
嫌になっちゃうよ、と呟きながら船長が二人のもとを離れた。そのあと、ヒスリアが小さく呟いた。
「私達が生まれた年だ・・・・・・」
「え?」
エルは聞き取れなくて聞き返したが、ヒスリアは小さく首を振った。
「なんでもない。・・・・ね、エル。あの月がきれいに見える?」
ヒスリアの突然の質問に少し戸惑ったエルだが、上空に明るく浮かんでいる月を見上げた。
「うん。はっきりと見えるよ」
ヒスリアの顔が曇った。
「エルって、にごりのない心の持ち主なんですね」
エルの顔が苦痛に歪んだ。
「僕はちが―」
「エル、そろそろ行こうぜ。俺、眠い」
ワイスの言葉でエルの言葉がさえぎられ、そのまま部屋へ戻った。
『俺はそんな心の持ち主じゃない・・・・・・!』
「きれーい」
ヒスリアが朝焼けを見て感想を呟く。そのヒスリアの横顔をエルは静かに盗み見た。人がいないせいか、甲板と海はとても静かだ。
「二人きりになったのって、久しぶりじゃない?」
さほど気にせずに言った言葉にヒスリアの肩がピクッと反応した。
「そ、そうだね」
エルは太陽に背を向けて、話し始めた。
「ヒスリアの家を出て、ワイスと出会った。な、ワイスって、けっこう女装姿もさまになってたよね?」
「うん」
「それからハリスさんと出会った。あれ以来ワイスとハリスさんのケンカが始まったんだよな」
エルはため息をついて、ヒスリアがクスッと笑った。
「私はあれでけっこう楽しいよ」
エルは信じられない、と言った顔でヒスリアを見て、またため息をついた。
「止める僕の身にもなってよ。大変なんだからさ」
「いいじゃない」
ヒスリアがまた笑った。
「それからユエとイストロイドに出会ったね」
「うん」
エルは頷いた。
「あーあ。すっかり日か昇っちゃった」
ヒスリアはもう完全に姿を現した太陽を見て呟いた。
「また見に来よう」
エルが優しくヒスリアに微笑みかけた。それにつられるようにヒスリアも微笑んだ。
「うん」
船の前方に朝日に照らされたサリ大陸が見えてきた。