No.6 「無智のこと 志知のこと」
「ね、ね、これからどこ行くの?」
船から下りてさっそくユエがエルに聞いた。
「う〜ん………」
エルは腕を組んで唸った。とりあえず行く先を決めたものの、それから先はまだ決めていなかった。決まり悪くて辺りを見回す。港にはたくさんの人がごった返していて、人々が忙しく歩き回っていた。
「とりあえずこの町を見て回ろうか」
「それがいいですわ!」
エルの提案に、ハリスの声が上づいて答えた。
「お店!お店に行きましょう!買い物ですわ!こんなに大きな町ですもの。何かいいものがきっとあるはずですわ!」
一人先を行くハリスを後の仲間達が慌てて追いかけた。
「いた〜い。もう!誰ですの!!」
「ご、ごめんなさい」
姿が見えたくなるほど先を歩いていたハリスが石畳の道の上に尻もちをついていた。ハリスは大事な尻をさすりながら、その向かいには同じように尻もちをついていたおじさんがいた。その人はつばの広い帽子を直していた。
「おけがは?」
親切に手を差し出したおじさんの手を払いのけて、ハリスは一人で立ち上がった。
「わたくしなら、平気ですわ」
「そう。よかった」
おじさんも立ち上がると、後から来たエル達を一人一人見回した。
「あんた達は冒険者かい?」
「ええ」
ちょっと訝しげにエルがおじさんに答えた。
「ちょっと頼みを聞いてくれないかね?」
目を輝かせておじさんが顔を突き出してきたので、エルは引き気味で返した。
「どんなことですか?」
おじさんがしめた、と陰でにやついた。
「この大陸の端にあるシヤスまでこの袋と」
おじさんが腰のところから小さな布袋を素早くエルに手渡した。
「その通り道にある山脈に自生しているラベンダーを取って、フェクスンと言う人に届けて欲しいんだ」
エルは両方受け取ると、重さからしてそんなに重くない荷物だったから、エルはポケットにしまおうとした。
「フェクスンと言う人です―」
「ちょっと待ったー!」
ワイスがポケットまで向かったエルの手首をつかんで話に割り込んだ。おじさんはちょっと驚いた顔でワイスを見た。
「タダ働きってことはないだろうね?」
ワイスがかなり意味ありげにおじさんの顔を覗き込んだ。おじさんはたじろぎながら頷いた。
「え、えぇ。そ、それはもちろんありあすよ。フェクスン先生に言えばきっともらえますよ」
「なぁーんだ」
ワイスはエルの手を離すとおじさんから離れた。
「じゃぁ、受けようよこの話。みんなもいいだろう?」
ワイスが順にみんなの顔を見回してみたが、誰も反論しなった。
「よ〜し!じゃぁ早速行こう!」
ワイスの威勢のいい言葉に、ハリスの頬がピクッと動いた。
「早速!?そんに早く行かなくてもいいですわ!今日ぐらい宿に泊まりましょうよ!」
必死に訴えるハリスを振り返った。ワイスの表情はもう行く気満々で誰にも止められそうになかった。
「いいじゃん。一日や二日野宿が多くなったって。さあ行こう!」
今度はワイスが勝手に先を歩き始めたので慌てて仲間が追いかけた。ハリスは止められないことを悟ると、深くため息をついて後に続いた。
「ハリスさん。残念ですね」
後ろを歩いているヒスリアが、がっくりと肩を落としているハリスに声をかけた。
「残念なんてもんじゃ済まされませんわ。もう最悪ですわ。ヒスリアは野宿が平気ですの?」
「大丈夫です。部屋にいるときより、安心して寝られますから」
そうなんですの?とハリスが口を尖らせた。
「元気出しなってハリ姉!」
ポン、とユエが自分より大きなハリスの肩に手を置いた。
「は、ハリ姉!?」
「そう。そう呼んでもいいでしょう?」
ハリスは少し考え始めたのか、しばらく黙った。
「よ〜し。ハリ姉よろくし!」
「しかたありませんわね。もう自分のことはあきらめますわ。さ、ヒスリア。わたくし達もワイスなんかに負けていられませんわよ」
ハリスはさっきまでの暗さがどこ吹く風、陽気に歩き出した。ヒスリアはそんなハリスを、柔らかな顔で見た。エルは薄く笑みを浮かべた。
あれから、しばらく歩き続けて、一行の目の前におぼろげながら山脈が見えて来た。辺りも平地から森へと変わり始めた。しばらく道なりに進んでいると、前方の岩の上に上下黒に身を包んだ人が腰掛けていた。エルはその人に気を配りながら横を通り過ぎようとした。その人が顔を上げて微かにエルを見た。見るなり流れるように岩から降りると、腰にさしてある二本の剣のうち一本に手をかけた。エルはそのけはいに気づき、その場から飛び上がった。ヒスリア達も二人のけはいに気づき、構えた。その人がエルに剣を振り下ろしたと同時に、エルも剣を振り上げた。刃と刃がぶつかる音が辺りに響く。
エルは相手のもの凄い剣圧で、思わず息が上がった。向かってきた男は何ともない様子で、水色の、長い髪を風に揺らしその髪の色より青い瞳でエルを見据えていた。
「お前は、なんだ」
落ち着き払った声がしたかと思うと、男が飛び下がった。エルがその衝撃で跳ね飛ばされた。エルは素早く立ち上がると、男を見据えた。男はもう一度エルを見ると、剣を構え直した。
「答えろ。お前はなんだ。」
エルは目の前の男に眉をひそめた。今まで記憶にある人物に行き当たらない。今まで人と関わりを持たなかったエルの記憶の中に、目の前の男の記憶はなかった。
「僕はあなたに会った覚えがない」
男はふっと笑うと、剣をしまった。エルがそれを見届けてから、自分も鞘に収めた。
「では、なぜここにいる?」
男の視線の先がエルからヒスリアへと移った。エルは声を荒げた。
「そんなことあなたには関係ないだろう!」
「ふん」
男がさっとヒスリアの後ろに動いたかと思うと、再び剣を抜き、ヒスリアの首筋に刃先を当てた。その一連の動作が流れるような動きで、誰も男の行動を阻止できなかった。
「お前の周りの物を守るためか?」
エルはヒスリアと男を交互に見て、また剣を抜いた。
『クソッ!……手が出せない!』
男がエルをしっかりと見据える。
「さぁ答えろ。お前はなんだ」
エルは男をキッと睨みつけた。
「僕は何も知らない!あなたこそ、なぜそんなに僕に聞くんだ!」
逆に質問されて男はしばらくエルを見ると、ヒスリアから離れた。その瞬間を見て、ハリスの呪文が唱え終わった。
「キメロ」
ハリスの魔法杖から黒い輪が男めがけて飛び出した。男はそれを確認するとゆっくりと腰に巻いてあったマントを広げた。輪がそのマントに触れるとハリスの術が跡形もなく消えてしまった。ハリスがそれを見て、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「そんな。レザーマントなんて…」
ユエがハリスに首を傾げた。
「レザーマントって?」
ハリスは放心状態のままユエに説明をする。
「レザーマントとは、土、風、闇、水の攻撃を防ぐマントですわ。術に関しては、ほとんどの技を無効にしてしまいますのよ……」
「そんなぁ」
ユエがマントを腰に巻いている男を見て、肩を落とした。
『ユエ、風系なのに……』
「ま、ようするに、だ」
ワイスがユエの言葉に続いた。
「俺の技なら効くってことさ」
ワイスが呪文を唱えようとしたが、思い止まった。男がヒスリアに刃先を当てているのせいだった。エルは歯を食いしばった。
「卑怯だぞ!」
ワイスが怒鳴りつける。男はゆっくりワイスを見たあと、エルに視線を移した。
「偽善だけでは、この世界で生きられんぞ」
エルの刃先が少し下がった。しかしエルは首を小さく振って、剣を構え直した。
「僕は偽善なんて器用なものもってない!今だって、あなたから逃れられない!」
男はヒスリアを見下ろすと、首元から剣を降ろした。
「とんだ甘ちゃんだ」
男はヒスリアから離れると、エルの横に立つ。エルは敵意を向けて男を睨み上げた。
「それでもお前はこのままでいるのか?」
エルは正面を向いたままきっぱりと言い放つ。
「あなたはどうなんですか?今のあなたは」
男はふっと笑みをこぼす。
「おれの名前はカリオス。記憶を失っている。ただ―」
カリオスと名乗った男がエルを見下ろした。
「お前だけ知っている。なぜか知っている」
カリオスの言葉にその場にしばらく沈黙が流れた。
「……強くなりたいか?エル」
エルがはっとしたように顔を上る。カリオスは一人先を歩いていた。
「…強く?」
エルが口の中で呟く。カリオスがエルのほうに振り返った。その拍子に長い水色の髪の毛が黒い服の上を滑った。
「そうだ。どうする?これから強くなって大切なものを守るか、それともこのままでいるか」
エルが仲間を見回す。
『大切なもの』
エルはヒスリアからカリオスへと目線を移した。
「強く……強くなりたい!」
「では、行くぞ」
カリオスが一人歩き始めた。エルはそれを見て、仲間達の顔を一人一人見回った。
「行っても…いいかな?」
ヒスリアは顔の力を抜くと、エルに笑顔で言った。
「行ってらっしゃい」
ワイスが元気な声で言った。
「そうだぜ!もし強くなってなかったら、ただじゃおかないぞ!」
「そうですわ。わたくし達のことは安心してくださいな」
「ガンバ!シヤスで待ってるぞ!」
エルは仲間の声援に送られて、カリオスの後を着いて行った。
「あのー。どこへ行くんですか?」
エルがカリオスの後ろを歩きながら、厳かに言った。しかしカリオスは黙って歩くだけだった。