NEOSU          The writer is 楼 羽青









                  No.8 「過去・ 現在 (いま) ・未来」








「ネオスなどというものではない。もっと素晴らしいことだ。偉大なあのお方はそれを成し遂げた」
「あのお方?」
 ワイスがオウム返しに聞く。しかしそこの言葉を聞き流すと、ジェリノは全員に釘を刺した。
「その小娘に心の色を渡すな。心の色は精神状態でいくらでも変わる。その小娘は無色なまま生まれてきたのだ。なら、無色なまま生かすのが妥当であろう。また来る。いいな、色を渡すな」
 ジェリノはそう言うと、スッと空に消え去った。取り残された一同は、何事もなかったように、平静を保つ空を見上げることしかできなかった。



 エルはさっきからチラチラと、ワイスに様子を診られているヒスリアの様子を窺う。ワイスは付きっきりでヒスリアの様子を見ていたが、手を休めるとそばを離れた。すかさずエルはワイスに駆け寄った。
「大丈夫なのか?」
 ワイスは顔色一つ変えずに答える。
「ああ。本当にただ眠っているだけだ」
 エルはその言葉を聞いて、ほっと胸のなでおろした。ワイスは、今度はハリスが付き添っているヒスリアを見た後、カリオスと、突然現れて戦ったソーサを順に見る。
「なぁエル」
 ワイスが声をひそめてエルに耳打ちする。
「カリオスって奴はともかく、なんであいつまでここにいるんだ?」
 エルはワイスの視線の先、カリオスとソーサを見た。カリオスは静かに地面に腰を下ろしている。一方ソーサはユエに遊ばれていた。
「ねぇソッさん!」
 ソッさんと呼ばれたソーサが、線のような細い目でユエを見下ろした。ユエはニコニコと笑顔でその視線を受け流した。
 エルはワイスの言いたいことがわかり、楽しげなユエに視線を向けた。
「いいじゃない?楽しくって。旅は楽しい方がいいよ」
 ワイスは、そうかぁ?と顔をしかめながら、カリオスとソーサを見た。
「大丈夫だって、ワイコン!」
 いつの間に来たのか、ユエが二人の後ろにいた。笑顔のユエに二人は驚いて肩が飛び上がった。
「ユエ!」
 突然現れて気を害したワイスは、ユエに一歩近づいた。
「ユエ。お前、人のあだ名を考える時は、もっと慎重にしたほうがいいぞ」
「…?うん!わかった!」
 怒られると思っていたユエは、一瞬の間を置いてまた笑顔になる。
「それから」
 ワイスが立ち去ろうとしたユエを呼び止めた。ワイスは人差し指で、少しはなれた所にいるユエを指差した。
「そのワイコンはやめろ」


 ユエのあだ名騒動も一段落したとき、エルはヒスリアが起き上がったのが目に入っり、ヒスリアのもとへ駆け寄った。
「ヒスリア、大丈夫?」
 エルはヒスリアの顔を覗き込む。ヒスリアはしばらくボーっとすると、いきなりスイッチが入ったようにエルに詰め寄った。
「私の…私の色は何色だったの?」
 沈黙
 重苦しい沈黙が流れた。ヒスリアが全員の顔を見回った。
「ヒスリア、そなたの色は―」
 困惑するヒスリアを見かね、ソーサが沈黙を破った。
「ソーサ!」
 全員がソーサの名を叫んぶ。が、ソーサはかまわず続けた。
「色はない」
 全員の間に苦虫をつぶしたような顔が広がる。ヒスリアも黙る。そんなヒスリアをハリスが見て、ソーサに言った。
「いくらなんでも!」
 ハリスの言葉をソーサは力強くさえぎった。
「いいか。真実とは重いものだ。人には、自分の真実を知る権利がある」
 また沈黙が流れた。ソーサのため息が、静かに聞こえた。
「誰だって真実とは受け入れられないものさ。……いい機会だ。昔の話をしよう。昔、おれは真実を受け入れられない時があった」

 ソーサが静かに語り始めた。ヒスリア、ハリス、エルはその場で耳を傾けた。ユエはイストロイドと一緒に座って、少し離れた所から話を聞いた。ワイスはテントの入り口に腰掛けた。カリオスはさっきから動こうとしない。聞いているのか寝ているのか、わからなかった。誰も話出すのを遮ろうとせず、見知らぬ男の話を待っていた。
「あれはおれが十二の時に、ズミ町で起こった―」











 □

 「おれは昔、ジェリノと会ったことがある―」


「ねえ兄ちゃん、遊ぼうよ!」
 大きな潤んだ目が自分を覗き込んでいる。ソーサの弟、ジャクールがソーサのズボンを引っ張っている。まだわずか七歳のこの男の子から見ると、ソーサはりっぱな大人だった。そのソーサは、小さな弟が可愛くして仕方なかった。
「兄ちゃんはいいけど、母さんがなんて言うかな?」
 ソーサは意味ありげな視線を、店の奥で仕事をしている母に向ける。母がそれに気づき、二人に笑顔で言う。
「いいわよ。ソーサにはいつも店を手伝わせてるから、今日はもう終わり。日が暮れる前には帰ってきてよ」
 ジャクールはその言葉を聞くと、パッと明るくなった。
「うん!兄ちゃん。今日はボールで遊ぼう!」
 ジャクールがソーサのズボンをつかんだまま走り出した。ソーサは引きずられる形で、弟について行く。
 ソーサは十五才。この頃になると、ソーサは銃を持ち歩いていた。しかしあくまでご信用だ。実際に人を撃ったことはないし、これからもそんなことは起こらないだろう。
 ソーサの家は七歳になる弟と母、父の四人暮らし。両親は呉服屋を営んでいて、ソーサは十の時にはもう店の手伝いをしていた。でも、それから幼い弟は一人きりになってしまった。もともとの性格からなのか、あまり他の人となじもうとせず、家族の中だけで遊ぶようになった。だからソーサの仕事が終わるまで待つと、毎日のように遊びに連れ出していた。そんなハードな毎日を送っていたソーサだが、一度も嫌だと思った日はなかった。一人でいる弟のことを思うと、辛いものではなかった。

「兄ちゃん…あれ、なに?」
 ジャクールが空に浮かぶ無数の黒い点を指差した。ソーサは言われてボールを持ったまま空を見上げた。青空に染みを着けたように点々と黒い粒が見える。その姿が今まで見たこともがなく、とても異様に見えた。そのせいかわからないが、背筋に悪寒が走った。意味もなくボールを持つ手が汗ばんでいる。
 二人は固まったかのように空を見上げつづける。そのうち黒い点が段々近づいてきた。ぼんやりだが、その姿が見えてきた。それは大軍を率いたジェリノの姿だった。。

 この時初めてジェリノが現れ、人々の間に名を残した。

 今だかつて見たことのないその姿に、ソーサは隣にいたジャクールの手を取った。
「ジャクール…行くぞ。ここにいちゃいけない」
 不思議そうな視線が帰ってきた。
「なんで?もしかしたら、新しいサーカス団かもしれないよ」
 ジャクールの無邪気な顔を見て、ソーサは真顔でジャクールに言い聞かせる。
「いいから帰るよ」
 ソーサは無理やりジャクールを引っぱる。ジャクールはソーサの後ろでブスッとして、反抗の意味で振り返った。
 心なしか弟の握る手に力が入った。
「兄…ちゃん……」
 ジャクールが糸のように細い声を出す。ソーサは不思議に思いながら、振り返った。すると、煙を上げ、悲鳴を上げている自分の街と、小刻みに震えている弟が目に入った。
 ソーサはとっさに呟く。
「……母さん…父さん…!」
 ソーサは弟の手を離して、とっさに一人自分の家へ駆け出した。途中、無残な姿になったものを見ぬ振りをして通り過ぎる。ソーサは背中で、ジャクールが慌てて追いかけてくるのを感じた。しかし今は弟にかまっている暇はない。ソーサは一抹の不安を胸に抱いて、息ができなくなるかと思うほど走った。
 目の前に見える角を曲がったら、自分の家がある。そこは何事もなかったように、明るい母の笑顔が待っている。その笑顔まであと数メートルだった。足首をひねるほど曲げて、素早く角の先を見た。
『どうか…無事でいてくれ…!!』
 ソーサは目を見開いて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。無残に切り殺され、おびただしい血を流して横たわる両親の姿が目に入る。
「父さん…母さん!」
 ソーサは一番近くにいた父のもとへ駆け寄った。わかっていていも生死の確認をしてしまう。理解していた通り、脈はなく、氷のように冷たかった。ソーサは静かにまた父を横に寝かせると、その横に倒れている母を見た。母はかろうじて息をしていたものの、もういつもの笑顔を見ることはできなかった。
「…母さん……」
 母がうつろな目でソーサの姿を探す。動くたびに、痛みを失った体からおびただしい血が地面を染め上げていく。
「に、げて……に…」
 母はそれだけ絞り出すと、ソーサの腕の中で父と共に旅立った。
「ハーハッハハ!逃げるだと?愚かな考えだ」
 頭上から甲高い笑い声が響いた。それに連ねて無数のキーキー鳴くモンスターの声が聞こえた。
 ソーサはそっと母を地面に寝かす。
「人とはうるさい虫、だな。この私に命を差し出せば楽にあそこへ逝けたというのに……」
 ジェリノがさっと、ソーサからだいぶ離れた所に降り立った。すると、その長い爪ですでに死んだソーサの母の胸を貫いた。強張った体が大きく仰け反り、傷口から血を吐き出してまた動かなくなる。
「………」
 ソーサは俯いてた。大きな手で作られた拳が怒りで震える。咽からは無数の言葉が飛び出そうとする。しかし最後の勢いがつかなかった。ソーサには、恐怖に打ち勝つ一歩の勇気が出せなかったのだ。
『反抗したら殺される…!』
「兄ちゃん……」
 か細い声がソーサを我に返した。涙を浮かべた弟の姿がソーサに映る。
「ジャクール!逃げるんだ!」
 ソーサがジャクールに怒鳴りつけた。あまりに唐突のことに、ジュクールはただ立ち尽くしていた。
「で、でも……」
「早くしろ!」
 ソーサがもう一度怒鳴りつけると、ジャクールは慌てて走り出した。
 ソーサは目の前に立っているジェリノを睨みつけていた。そして右手でポシェットの中から銃を取り出し、その銃口をジェリノに向けた。
「帰れ。お前のいべき所へ、帰れ」
 小さくはあったが、威厳のある声でソーサは言い放つ。ジェリノは不思議そうに首をかしげて銃口を見た。
「ほう。私に立てつくつもりか?そうか。なら、己が無力さに絶望するがいい!」
 ジェリノの爪がさっきと同じように伸びて、ジャクールの心臓へと向かう。ソーサは渾身の思いを込めて引き金を引いた。
 弟はソーサをしっかりと見据えていた。
 その体が大きく傾き、小さな胸からは一筋の血が流れる。
「ジャクール!」
 ソーサがジャクールのもとへ駆け寄った。
「兄…ちゃん……」
 悲しそうな表情をする弟を、兄は抱きしめた。服を伝って温もりと、赤がソーサに身に染みた。
「ジャクール。もう…何も言うな。おねがいだから…な?じゃないと、兄ちゃん……」
 ソーサの目から大粒の涙がこぼれた。その涙が静かにジャクールの頬を流れる。涙はジャクールの頬に着いた色を流し、地面に染み込んでいった。
 ソーサはもう一度弟の亡骸を抱き直した。そこへ、空を割るような渇いた笑い声が響いた。
「ハーハッハッハハ!悲しいか?苦しいか?大丈夫だ。お前もすぐそいつのもとへ逝く。安心しろ。その魂は力となって生き続けるのだからな」
「…ごちゃごちゃうるせぇな」
 ソーサがジャクールを静かに横にすると、立ち上がった。
「クズ」
 細い目が憎しみを帯びて鋭く閃光を放つ。ジェリノの頬がピクッと引き攣った。
「ほお…!」
 ジェリノが体勢を低くすると、弾丸のようにソーサの懐へ突っ込む。ソーサはそれと同時に発砲する。銃声があたりの空気を震わした。
 
 ソーサが口から血を吐き出し、地面に崩れた。ジェリノがそれを見て、満足そうにせせら笑った。
「ふん。口ほどにもない」
 ジェリノが高笑いをしながらソーサから離れていく。ソーサは必死に、遠のく意識を引き寄せていた。
『死ぬものか。あいつに復讐をするまで、おれは…死なない!ぜったいに……』
 しかしソーサの瞼は容赦なく閉じようとしていた。

「兄ちゃぁーん」
「ジャクール!」
 ジャクールがソーサに向かって手を差し伸ばしている。ソーサはその手をつかもうとした。しかし後少しのところで届かないた。ジャクールの後ろから誰か現れて、ジャクールの背中を引っぱり上げて、ソーサから突き放す。

「ジャク――ル!」
 ソーサは、はっと目を見開いた。全身汗だくの上、体が悲鳴を上げ始めた。傷口の上には、ぶっきらぼうだが包帯の代わりに布が巻かれていた。
「あ…」
 ソーサの顔を、幼い、ジャクールと同じくらいの少年が覗き込んでいた。ソーサは少年から、家へと視線を変えた。家の中は荒れていたが、かろうじて家の形はしていて、生活はできそうだった。
「お前、一人なのか?」
 ソーサが静かに聞くと、少年は頷いた。
「そうか…」
 ため息混じりにそう呟くと、ソーサは起き上がった。傷はだいぶ深かいが、何とか動けそうだ。
「家族は…どうしたんだ?」
 聞いても無駄、と思っていた通り少年の顔が暗くなった。ソーサはそれを察して、少年に優しく声を掛ける。
「わかった。何も言わなくていい。…それより、どうしておれを助けたんだ?」
 少年がソーサの顔を見つめた。それは助けて欲しい、と訴えかけているようで、ソーサは目を反らした。
「生きているの、お兄ちゃんだけだった……」
「そうか…」
 しばらく沈黙が流れた。
『全滅、というわけか。あいつ、覚えてろよ。今に…』
 少年が急にソーサにもたれかかってきた。
「お、おい。どうしたんだ?」
 少年は静かに寝息を立てているだけだった。
『なんだ。寝てるだけか。疲れてるんだ。きっとこいつも親を目の前で…』
 ソーサはこの少年がいつ起きてもいいように、起きるまでずっとついてあげた。悪夢を見て目が覚めた時のために……
 ソーサは次の日にはだいぶ体が言うことを聞いてきたので、町の人のために墓を作った。もちろん少年も一緒だ。全員の墓を作るのに、丸一日かかってしまった。
「なあ。お前はこれからどうするんだ?」
 近くの家から拝借してきた物で、夕食を摂っている時、ソーサが何気なく少年に聞いてみた。少年は無邪気に首を傾げた。
「わかんない」
「親戚とかないのか?」
「知らない」
 その一言が最後の会話となった。
 シンと静かり返った夜、ソーサは一人で考え込んでいた。
『あいつは…これからどうするんだ?一人でこの町を建て直すつもりか?いや。いくらなんでも無理だ。生きることさえ難しい。だとしたら連れて行くのか?このおれが?…いや。それはできない。あいつを見てるとジャクールを思い出してしかたがない。弟を…』

「お兄ちゃん?」
 少年が眠気眼でソーサを呼ぶ。しかし返事は返ってこなかった。少年は一回り家の中を捜した後、机の上に手紙を見つけた。
「ここから西のところへ行くと大きな家がある。そこは大きな牧場がある。そこのおじさんに「お願いします」と言え。そうすれば住まわせてもらえる。おれのことは探すな」
 簡単で、粗末な文章は少年に隔たり無く伝わった。少年の手紙を持つ手が自然と震えた。
「また…僕のもとから人がいなくなった……」

 ソーサはもう歩き始めてだいぶ立っていた。牧場の叔父さんには話をつけてある。何も残すことは無い。深い悲しみしか残っていない故郷には帰らない。二度と戻ることは無いだろう。復讐を誓って強くなるために前に進むだけだった。

 あれから十年がたった。ソーサは二十二歳になっていた。ソーサはジェリノに対する憎しみを思い、日ごろつらい旅をしていた。
 ソーサの村が襲われて、後一週間でちょうど十周期だった。この日、ソーサは立ち寄った国の教会へ足を運んだ。ソーサは今、一週間で自分の町へ戻れるような所にいなかった。かといって次の町にも行けなかった。だからここで、せめて祈りだけはして行こうと思ったのだった。
 ソーサはおもむろに教会の、古い木でできた扉を開けた。油が抜けていたので、キイッときしむ音が乾いた教会の中に響く。中は、平日だからなのか、ひっそりとしていた。物音一つしない。外の雑音が扉を通して微かに聞こえてきた。
 長い、一直線の廊下の脇に、横幅の長いイスが何列もきちんと整って置いてあった。その先には、ビジニジ嬢の姿を象ったステンドガラスがあった。その下で、一人の女が祈りをささげていた。ソーサはそれを見るとまた扉に手をかざした。
 日を改めて来よう、と思いソーサが扉を開けようとした時、祈りをささげていた女がソーサに話しかけた。
「祈らないのですか?」
 ソーサは一瞬手を止めて振り返った。女がソーサの方を見ていた。二人の距離が、やけに長く感じられた。
「もう用は済んだ」
 ソーサはそう言うと帰ろうとするが、女はなおもソーサに話しかけた。
「うそ言って。さっき入ってきたばかりじゃないの。何もしてないのに、用が済んだって言うのはよくありません」
 ここの人だろうか?喋り方がどこか丸い。女がソーサのもとへ歩いて来る。そしてソーサの手を引くと、ガラスの前まで強引に引っぱっる。ソーサは否定するが、女はそれを許さなかった。
「はい。どうぞ」
 女は自分の背丈より大きい像の前までソーサを連れて行くと手を離し、自分は近くのイスに座った。ソーサは女を見た後、目の前にある像を見た。若きビジニジを型った像。両手の指を絡ませて何かに祈っている姿だ。その姿は緊迫迫るものがあった。
 ソーサは目を閉じ、心を静めると、死んだ町の人に黙とうを捧げた。再び目を開けると静かに立ち上がった。頃合いを見計らったかのように女がソーサに話しかけた。
「ね、あんた旅人?それとも商人?それとも冒険者?」
 ソーサはじっと女を見ると、女から少し離れた所に座った。
「ちなみに今の時代、旅人と冒険者は一緒だぞ」
 ソーサが息をつきながら言うと、女のアハハと笑う声が教会の中に響いた。化けの皮がはがれたらしい。喋り方が変わった。
「そうだよね。じゃ、聞き直す。あんたは冒険者?それとも商人?」
「冒険者…と言ったところか」
「へぇ。いつから?」
 なおも聞き出そうとするこの女に、ソーサは少し疲れを感じた。しかしこの女に話さずにはいられなかった。どこか懐かしい感じが漂っている。
「十年前からだ」
 一瞬女の表情が強張った。ソーサはそこまで言うと思い直した。
「正確に言うと後一週間でちょうど十年だ」
「………」
「お前はここにいつからいる?」
 女はようやく顔を上げると、う〜んとしばらく考え込んだ。
「忘れた。けっこう前からだけど…忘れちゃった。ね、あなたはどこから来たの?ここに来た目的は?出身はどこ?」
 自分の子と話さずソーサのことばかり興味心身に聞いてくる女を、ソーサは呆れながらため息をついた。
「一度に何でも聞くのが好きなようだな。そんなにあせってどうする?誰か来るのか?」
「いいえ。誰も来る予定はありませんよ。ただ…なんとなくあなたに興味があるの。なんとなくだけど……」
 ソーサはちらっと女を見た。そして小声で話した。しかし教会の造りのせいか、少し声でも共鳴して聞き取れてしまう。
「まず、お前から名乗ったらどうなんだ?」
 ソーサの問いにあっと女が口に手を当てた。
「そうだった。じゃ、私が名乗ったから、あなたも教えてね」
 反論しようとしたソーサを有無を言わさず制した。
「名前はティタ。ティタ・トルス。ここに住み込みで働いているよ。それと、女の人に歳は聞かないでね。さ、今度はあなたの番」
「……名はソーサ・シルエヌ。二十二だ。ここに来た訳は特にない。出身はない。これでいいだろ?」
 ソーサはティタと言う女を初めてまじましと見た。女は目のまえで手をぱちんと叩いた。
「私と同い年だ!!」
「フフ…ハハハハ」
 ソーサが笑い出した。それを見て、ティタが頬を膨らませていかにも不機嫌だという顔でソーサを半ば睨む。
「なによぅ」
 ソーサは笑うのをこらえてティタに答えた。
「お前、さっき女の人に年は聞かないで、と言ったのに自分で暴露したぞ」
 ソーサはまた笑い出しそうになったが必死にこらえた。
「あ…」
 ティタが固まった。
「フフフ」
 ティタも一緒になって笑い出した。
「なんでだろうね。あなたとは昔から知っていたような気がする」
 ソーサはティタを見つめた。ティタはそれが気恥ずかしくなり、顔を赤らめて慌てて立ち上がった。
「ね、や、宿は決めてあるの?よかったら私の部屋に来て話さない?」
「いいのか?」
 ソーサも自然と立ち上がる形となる。
「ええ。もちろん!…来る?」
「ああ!」
 ソーサはティタに連れられて、教会の奥の方にある石畳でできた螺旋階段へ案内された。急で狭い階段を上りきると急に、冷たい印象を与えていた石と打って変わって明るい木でできた部屋が広がった。しかしそこは雑然としていて、必要な生活用品しか置いてなかった。
「ここが私の部屋。貧相でしょ?」
 辺りを見回していたソーサに、ティタが自嘲気味に言う。
「ここに一人で暮らしているのか?」
「ええ。私を拾った人は、もういないけど」
「家族は?」
 ソーサの言葉にティタが泣きそうな顔になった。
「いない…。昔、全員……死んだ……」
「………」
 ティタの目から大粒の涙が溢れた。
「全員…殺されたの……!」
 ティタがソーサに歩み寄ると、ぎこちなくソーサに抱きついた。ソーサは突然のことに驚いたが、自分の胸の中で細く泣くティタを抱きしめてやった。するとティタの泣き声が一層大きくなった。
「私、ズミ町出身なの。って、言ってもわかるかな?」
 泣き止んで、ソーサの横に寝ているティタがおもむろに呟いた。ソーサは驚いて起き上がった。
「ズミ町!?じゃ、おれと一緒!?でも、あそこには、おれとあいつしか…」
 ティタも起き上がった。
「おれと?あなたもズミ町出身なの?」
 ソーサはティタに頷いて見せた。するとまたティタの目から涙が流れた。
「もう、誰も生きてないと思ってた…」
 泣かれるのに離れていないソーサは、泣いているティタを見ないように視線を避けながら話した。
「町の人は、全員の墓を作った。面倒は見てきてないから、今ごろはボロボロかもしれないけどな」
「…そう……」
 ティタは口に手をあけて、必死に涙を止めようとしているようだった。しかし止まるけはいはなく、手を伝って溢れてしまう。そんなティタをソーサは優しく見つめた。
「もう安心していい。それに、泣きたい時は我慢をするな。そんなの何の役にも立たない」
 ティタは何度も何度も頷いた。
「ソーサ!早くぅ!!」
 青空の下で、ティタが元気よくソーサの名を呼んだ。ソーサはそれに細い目を更に細めて答える。
 ティタと出会って、かれこれ一週間過ぎていた。ソーサは当初、ここには二、三日だけいる予定だった。しかしティタと出会ってからその考えが一変した。
 ティタとここにいてもいいかも。
 ソーサはティタに復讐のことを言った。すると、予想外に激怒されてしまった。
 復讐なんかして何の意味になるの!?と。その言葉がソーサを大きく変えた。今まで復讐のためだけに生きていた自分をことごとく変えられたような気がした。
「どうかした?」
 いつの間にかティタがソーサを覗き込んでいた。そんなティタにソーサは微笑みかけた。
「なんでもない」
「そ。ならいいけど」
 ティタはステップを踏みながら街路樹を歩き出す。愛おしい位に感じるティタの背をいつまでも見ていたい気分だった。
 ゴオッと風か吹き込み、大きな影がかかった。その場にいた人々が空を見上げる。ソーサは影の主を見た瞬間、目を大きく見開いた。
 ジェリノだった。
 ジェリノはあの時のように、大軍を引き入れてここにやって来たのだった。十年前と同じ悲劇を繰り返すために。
「ハーハッハハハッハハ。さぁ、始めようか!」
 耳を塞ぎたくなるようなあの笑い声。その合図と共に何十、何百の怪物が地面めがけて降りてきた。ソーサは反射的に銃を抜いた。するとティタがその手をつかんだ。
「離せ!」
 ソーサがティタに怒鳴るが、でもティタは離さなかった。その手は震えていた。
「だめ!今は逃げましょう!ここにいたらまた悲しくなるだけよ!」
「どこにいたって悲しいんだよ!!
「ソーサ!」
「どいてくれ!!」
 ティタはじっとソーサを見つめた後、体を寄せてきた。ティタとソーサの唇が重る。
「…仇、とってね……」
 怒りに身を任せていたソーサは、さっと血の気が引くのを感じた。恥ずかしげに離れていくティタを、ソーサは力強く抱きしめた。
「ああ」
 ティタがソーサの腕の中から愛しそうに温もりを抱えたまま、町角へ走って行った。
 ソーサはティタの後ろ姿を愛情のこもった目で見つめたあと、銃を構えた。
 愛する者を護るために。もう同じ悲劇を繰り返さないために。
 ソーサはジェリノのいる空に向かって一発発砲した。当たりはしなかったが、ジェリノの注意を引き寄せるには十分だった。
「ほう。お前か」
 ソーサの顔からも自然と笑みがもれた。
「フン。誰がくたばるものか。お前を殺すまでは死ねん」
「ほう」
 ジェリノの頬がぴくっと動いた。
「名前はなんと言う?」
「ソーサだ」
「…では、ソーサ。お前はもういいのだ。消えろ!!」
 ジェリノが一睨みすると、衝撃破がソーサを襲った。ソーサはそのまま壁に背を強く打ちくけた。ソーサは素早く立ち上がると、ジェリノに発砲した。しかしジェリノはことごとくそれを避けると、ソーサに切りかかった。ジェリノの爪がソーサの肩に食い込んだ。
「ぐあぁぁぁー!」
 おびただしい血を流し崩れるソーサ。それを見下しながらジェリノがはき捨てた。
「おうおうおうおう!どうした?お前はこんなものなのか?つまらんなぁ。つまらなすぎる」
 ジェリノが刺したソーサの肩を踏みつけた。ソーサが苦痛で叫ぶ。
「さあ。もっと戦わないのか?なら、こちらからやってくれる!」
 ジェリノが爪を引き抜き、大きく腕を振り上げた。
 もうだめなのか……ごめんよ、ジャクール…
 ティタの顔が浮かびソーサが覚悟を決めた時、ジェリノが腕を振り下ろした。
 温かい、あの温もりのある鮮血がソーサの顔に黒々と飛び散った。ソーサは大きく目を見開く。大きく見開かれたそのソーサの上に、覆い被さるようにティタがいた。その胸には、ジェリノの鋭い爪が突き刺さっている。
「ティタ?」
 咽からかすれた風が出る。呼ばれた本人はジョリノから爪を引き抜かれ、その場に横に倒れた。ソーサはティタを抱き上げると声の限り愛しい人の名を叫んだ。
 ソーサの大声がむなしく空気に吸い込まれる。
「…ソーサ?」
 ティタの今にも消えそうな声がソーサの耳に届いた。ソーサはティタの口に耳を近づけた。しかしティタは何も言わずにソーサの頬に手を伸ばした。
「愛…してるわ……」
 ソーサはその手を取ると、涙をこらえながらティタに言った。
「おれもだ」
 ティタが微かに微笑んだ。ティタはその頬を残したまま大きく息を吐き出した。ソーサはティタをそっと地面に横に寝かした。
 ソーサの目がかっと開かれ、猫のような細い眼光でジェリノを睨む。
「きさまぁああああああ―――」
 ソーサがジェリノに襲いかる。しかしジェリノはいとも簡単にかわすと、笑い出した。
「また守れなかったなぁ。貴様は一生苦しめ!!」
 ジェリノがそう言い残すと天空へ舞い上がった。
「ま、待て!!」
 ソーサが慌てて発砲したが、弾は空を掠めただけだった。



ジャクールとティタ