No.3　

　激しく雨が屋根を打ちつける夜に、町の病院の扉を開ける音が院内に響いた。激しく雨に打たれるその扉を気づいたナースがさらに開ける。外の湿った空気と一緒に、雨粒が病院の床を静かに打ちつけた。
　その扉の前に、少女を抱きかかえた青年が立っていた。
｢ヒスリアを……お願い………」
　今にも雨音にかき消されそうな声がナースの耳に届き、青年が少女を差し出した。その手は、傷だらけで血が流れている。
｢ちょ、ちょっと、あんた達………！」
　ナースは慌てて少女を受け取ると、青年にも手を貸した。しかしもう青年は答えなかった。
｢誰か！誰か来て！」
夜の院内にナースの声が響いた。









　暖かい日差しを頬に受け、心地よい小鳥のさえずりでエルは目を覚ました。
『部屋……？』
　気持ちのいい白いベッドの感触に、エルは身をよじる。
｢ぐっ……」
　ほんの少し体を動かしただけで、すぐ体が悲鳴をあげた。仕方ないので首だけ動かして辺りの様子を窺う。どうやらエルのいる所は病院の個室らしく、辺りにはエル以外誰もいなかった。
『……ヒスリアは…？』
　無事なのだろうか。自分が約束しながらも守りきれなかったあの子は。
　エルは動かない自分の体に、焦りを感じた。
『なんとか病院へは行けたけど、もし……もしヒスリアが無事じゃなかったら………
　いいや。……僕は、僕は自分を必要としてくれる人を守るって、決めたんだ』
　エルは痛みに耐えながらようやくベッドから抜け出すと、床を這うようにして扉に進んだ。その時、ちょうど入ってきたナースと目が合った。
｢ちょっとなにしてんの！」
　少し低めの女の人の声が上から降ってきて、エルは抱き抱えられてベットに戻された。銀のような透き通った髪がゆれ、ナースはエルの目を見た。エルはその目から目を反らす。ナースは深々とため息をついた。




｢動いちゃダメなことは、自分でもわかっているでしょ！？」
　エルは無言でナースの言葉を聞き流すと、はっとナースに顔を向けた。
｢ヒスリアは！？ヒスリアは無事なんですか！？」
　やっと自分を見てくれて、ナースはほっと息をついた。
｢あんたの彼女のこと？大丈夫。むしろ君の方が心配だよ」
　安心から全身の力が抜けた。エルはほっと安堵の息をつく。
『よかった……』
｢ちょっと、聞いてる？」
　ナースの顔が間近に迫り、エルは思わす身を引いた。
｢え、ええ」
　エルは再びベッドに身を預ける。ナースはその隣に腰掛けると、頬杖をついてエルを訝しげに見た。
｢だったら話してよ。どうしてあんなに傷だらけになったのか」
｢モンスターに襲われたから……」
｢じゃ、どうしてモンスターのはびこる夜なんかに出かけたの？」
｢それは………」
　エルはうつむく。この人に結婚が嫌で逃げ出したなんていえるはずがなかった。
　エルが黙ったままでいると、ナースが腰に手をあてる。
｢いいよ。言いたくなかったら無理に言わなくても。そのかわり、当分動いちゃ困るよ」
｢それとこれは……」
｢関係あるの！いいね」
　ナースがエルに有無を言わせず部屋から出て行った。
　一人残されたエルは、窓越しに外の風景を窺った。緑でいっぱいの外。まるで、あの時の……ヒスリアの町のようだった。あの時はこんな穏やかな気持ちで風景なんて見ることができなかった。
　エルはそれから目をそらすと、自分の腕に巻かれている包帯を見つめた。
『なんで、こんなに……無力なんだろう…………』
　エルは静かに身を預けると目を閉じた。しかし、何度もヒスリアを救えなかった自分に腹が立ち、眠ることができなかった。
　しばらくしてあのナースがまたやって来た。
｢はい。これ」
　どすん、とナースがエルの膝の上に厚さ10cmもある本を置いた。エルはその本とナースを交互に見る。
｢君、すぐ動くから。暇つぶしに読んでいてよ」
　ナースはそれだけ言うと出て行ってしまった。エルはゆっくり、痛む膝から本をどかすと中を開いた。中は旅の心構えや、旅のことについてびっしりと書かれていた。
『あの人、僕たちのこと旅人だと思ってくれてるのかな？』
　エルはふとそんなことを思いながら、微かに微笑むと分厚い本に取り掛かった。




｢ふぅー。おわり」
　バタンと本を閉じ、う〜んとのびをした。二日かかってエルは本をようやく読破したのだった。エルは涙目をこすり、外を眺めた。
　外に出ることはあのナースに禁じられているし、ヒスリアも出歩くまで回復していないと言われている。この二日間何もせず寝ていたお陰ですっかり身体が回復していた。ナースからの情報によるとヒスリアの両親はどうやら今エル達のいるコビリには来てないようで、親の心配をする必要もなかった。
　エルはふと外に視線を移す。ここにきてから、一度もヒスリアを見ていなかった。
　キィと音がしてナースが入ってきた。エルは寄ってきたナースに本を差し出した。
｢はい。返すよ」
　ナースは本を受け取って目を丸くした。
｢もう！？」
　エルは驚いているナースに微笑んだ。
｢で、どう？読んでみた感想は？」
｢今まで知らなかったことがわかってよかったよ。旅に必要なこととか、武器の扱い方とかいろいろと………ありがとう」
　笑顔を向けるエルに礼をいわれて、ナースの顔が赤くなった。
｢別に、いいんだけどさ」
｢なんか、動きたくなった」
｢じゃ、動く？」
　口を滑らしたエルに、ナースの思いがけない返答にエルは顔を見つめた。
｢い、いいの？」
｢ずーと読んでたんでしょ？だから、いいよ」
｢ありがとう！」
　エルは急いでベッドから降りる。感覚が鈍ったらしく床に足をつけて体が傾いた。そのままエルは顔面を床に叩きつけられた。
　ナースはそれを見て、やれやれと首を振った。
｢これから大変だー」
　エルに手を貸しながらナースは呟いた。
｢今日は病院の中を歩き回るくらいだね」
　エルは強く打った手の平をさすりながらナースにたずねた。
｢ヒスリアは？」
｢502号室。君みたいに一人部屋じゃないから、静かにしててよ！」
　ふらふらと去ってゆくエルの背にナースが笑顔で声をかけた。エルは部屋を去るとき、ナースに手を貸されて覚えた違和感に首を傾げた。
　部屋の窓だけの風景に頼っていたエルは、廊下に出てビックリした。窓からは広々とした芝生の向こうに木々が見える程度だったが、目の前にある中庭を見て、ここが森の中にあるような錯覚に襲われた。
『ここなら心身療養できる気がするなぁ』
　エルは中庭から視線を戻すと、ヒスリアの病室を探し出した。探す、といっても病院の中はとても広く、502号室はなかなか見つからなかった。病み上がりのエルの体はすぐに悲鳴をあげた。エルは手近にあった白い背のあるイスに腰掛けると、中庭をぼんやり眺めた。
　小鳥が小枝に止まり、温かい朝日を浴びながら羽を休めてる。柔らかい景色に、まぶたが重くなってきた。
　少し遠い所でドアが開く音が聞こえたような気がした。
｢こんなところで寝ていいの？」
　不意に近くで声がして、エルはゆっくり目を開けた。
｢あ、すいません………」
　エルは横にいる人を見上げ、一気に目が覚めた。
｢ヒスリア……？」
　ヒスリアはにっこり笑うと、エルの隣に腰掛けた。
｢大丈夫だった？」
　ヒスリアがエルを心配そうに覗き込んだが、エルがパッと立ち上がりふらつく足でヒスリアに腰を曲げた。
｢ごめん！！」
　エルは深々と頭を下げる。許して、なんて言わない。せめて一緒に旅に出たくない、と言わないでほしかった。
｢僕、ヒスリアを守るとか言って守りきれなかった。もうこれからはそういうことないようにする。だから……」
『だから………』
｢いいの」
　えっとエルがヒスリアを見る。そのヒスリアの表情は穏やかで、目の前にある庭に暖かな眼差しを投げていた。
｢二人とも無事だったんだし、いいじゃない。それに、私は両親を見つけるまで帰るつもりはないからね？」
　ヒスリアの言葉に、エルはホッとしてヒスリアの隣に腰掛けた。
｢本当は、帰りたいっていうかと思ってた。よかった………」
　ふー、と息を吐き出すエルをヒスリアは横から見た。
｢エルは、続けたい？」
　逆にヒスリアの方が消極的に聞いてくる。そんなことがエルにはもどかしくて仕方なかった。
｢もちろん、続けたい。これからのこと、ヒスリアの親に会ってからとか、考えてないけど、僕は……」
｢僕は？」
　エルが言葉を切ったので、ヒスリアが先を促がしたがエルはしばらく黙ったままだった。
｢僕には、家から遠ざかれることが一番だし、親同士が勝手に決めた結婚から目を反らせることがいいんだ。ヒスリア」
　エルはヒスリアに向き直る。
｢これから、結婚のことは誰にも言わないでほしい」
　ヒスリアはエルの目を見つめるとゆっくり頷いた。
｢あ、おーいお二人さーん!!」
　廊下の向こうからナースが走り寄ってきた。
｢調子はどう？」
｢なんとか……」
｢もう仕事はいいんですか？ワイスさん」
　ワイス、とヒスリアに呼ばれたナースは頭をかいた。どうやらヒスリアとワイスは少し親しくなったらしい。
｢ま、まあね。ね、君」
　ワイスはエルに体を向ける。
｢このままだと、病み上がりでよければ明日には出発してもいいって、院長がいいって言ってたよ」
｢本当ですか？」
｢うん。多分」
｢多分ですか？」
｢うん」
　嬉しさのあまり立ち上がったエルはゆっくりとイスに座りなおした。それを見て、ワイスが笑った。
｢はは。冗談だよ。ま、とりあえず準備でもしといたら？」
　ワイスは去り際にそう言うと、廊下の向こうへ行ってしまった。
｢ヒスリア、明日行ける？」
｢うん。大丈夫だよ」
　エルは立ち上がると、自分の足の様子を窺った。長時間早く歩けそうもないが、何回かの戦闘なら大丈夫そうだった。
｢明日。出発しようか」
　ヒスリアはエルをじっと見つめて、すぐに頷いた。
｢わかった。今日一杯はゆっくり休んでね、エル」
　ヒスリアはエルに背を向けると、クルリと振り返った。
｢あ、それと、あの時、守ってくれてありがとう」
　ちょっと照れくさそうにそういうと、タタッと廊下を走り去って行った。
　一人残されたエルは、ヒスリアが見せた笑顔に戸惑っていた。
『僕は何もしていない。ちゃんと守れてなんかいないのに………』
　それでも感謝し、ありがとうといってくれたヒスリアの笑顔に少し照れていた。



　からっと晴れた空に太陽の光が降り注いでいる。
　エルとヒスリアは病院の扉の前にいた。朝早くで近くに人の姿はない。二人は病院にお金だけ置いていくと静かに旅立つことのしたのだった。
｢お世話になりました」
　エルとヒスリアが小声で扉を向かって頭を下げる。頭を上げると、まだ誰も目覚めていないコビリの町を後にした。
｢でも、ワイスさんいい人だったね」
　コビリから南西に伸びている街道を歩きながら、腰ほどある青々しい米科のナイの穂を両脇に挟みながらヒスリアが口に出した。
｢そうだったね。お礼もいえなかった」
｢また、会えるかな？」
　ヒスリアが後ろを振り返った。
｢どうだろう。でも、また会いに行こうよ。でも、その頃にはワイスさんがおばさんになってないといいけど」
｢えっ？ワイスさんは―――――」
｢お――――――い！」
　後ろから声が聞こえて、二人は足を止めた。後ろから一人の青年が追いかけてきた。
｢ハア。ハア。もう。勝手に行くなよ」
　息を切らしてやってきた青年は、長い髪を後ろに束ね、短いマントを羽織っていた。
｢えっと……どちらさん？」
　エルが青年の顔を覗き込む。少なからず今までに会ったことのない顔だった。
｢………わかんない？」
　語尾を強調されたが、エルはじっと顔を見つめたがわからずヒスリアに聞こうと思って振り返ると、ヒスリアは必死に笑いをこらえている様子だった。
｢ヒスリア？」
　たまりかねたのか、青年が髪を束ねている紐を解いた。
｢これでわかるだろ！！」
　少々やけ気味に言うと、銀色の長い髪が風に揺れた。
｢！ワイスさん！」
　やっとわかったか……と言うとワイスは髪を素早く元に戻した。
｢言っておくけど、好きで病院で女装してたんじゃないからね」
｢はあ………ねえ、ヒスリア。ヒスリアはわかってたの？」
　ヒスリアが笑いをこらえながら頷いた。
｢はあ……なんだ。ならいってくれればよかったのに……」
　エルは肩を落すと、ワイスに向き直った。
｢で、どうしたんですか？」
｢あ？ああ。えっとな………」
　ワイスは気を持ち直すと、気まずそうに言葉を選んで言った。
｢連れてってほしいんだ」
｢え？」
　エルとヒスリアが同時に口にした。
｢いや、強制はしたくないから、仲間、って感じでいいんだ」
『でも僕たちの目的は……』
｢ワイスさんはどうして私達と行きたいの？」
｢自分の目で、世界を見て回りたいんだ。どうせ、エル達だって、決まった行き先はないんだろう？」
｢そ、それはそうだけど………」
　エルとヒスリアはお互いの顔を見合わせた。ワイスがついて来ても状況は悪くならないだろう。むしろきっと良くなる。だが、もし二人の両親に会ったら……
　エルはヒスリアの顔を仰ぐ。
｢いいの、かな？」
｢私はいいよ。当てのない旅だから、少しでも目的があったほうが進みやすいし」
　エルは少し考えると、ワイスに手を差し出した。
｢じゃあ、これからもよろしくお願いします。ワイスさん」
｢いいのか！？」
　ワイスは目をランランと輝かせてエルと握手をした。
｢よっしゃあ！」
　ワイスが飛び跳ねて喜ぶ様子を見て、エルは新たな期待と不安を胸に抱いた。
　少しでも、少しでも親に関わることから離れられる………